火曜日の思索メモ

思ったこと、考えたことの記録です。

札幌地裁の判決と無戸籍時問題

札幌地裁の同性婚不受理は違憲裁判で憲法24条に違反するか否かが問われていたの、そういえば無戸籍児童の問題でも民法772条が憲法24条に反しているから不法だと問われていたなあと思い出したりして。

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「子どもは『家』のもの、『夫』のものとする家父長的な制度が家制度が否定された筈の現行民法にも亡霊のように取り憑いている。

『戸籍』という『家』に捕らわれたが最後『夫』という『家父長』の許し無くてはその『家』を抜け出せない」というのが、その主張だったと思うけれど、DNA鑑定が出来る時代になったので、民法772条制定時の「子供の権利を守る為」という理念を守る為の手段が条文を変えてもあるのに「子どもの権利条約」「国際人権規約」「憲法13条、14条」に反していると言われていても無戸籍児童が増える原因を放置し続けているのは、子供の権利よりも家制度の保持の方が大切な人がいるからでしょうねえ。

あの条文、「DV夫から身を隠す為という事例を想定してない」という批判もあるものな。まあ制定されたのが明治だから仕方ないけど。

『社会学年報』第8号井戸正枝.pdf

 

札幌地裁の判決文「将来当事者間に生まれた子に、社会の風習によって定めたる身分を取得させようとする意思」という文章があったから、親には「生まれたる子に定めたる身分を取得させる意思」があるのに、法がそれを拒んでいる例はどうなるのかな?と気になったんですよね。あの判決文、民法772条についても触れていたしな。

www.huffingtonpost.jp

全文読んだけれど、上手くヤバそうなところを避けている感じですね。戸籍法をつついてしまうと、国が頑なになるということは無戸籍児問題で証明されてしまっていますものね。

だって子供を無戸籍にしない為に法改正を求める動きは70年代後半には既に始まっているのよ。なのに40年以上経っても子供に不利益な状況を生み出す原因については放置だもん。

それで憲法24条が「子供を生み育てながら共同生活を送る関係に法的保護を与える為」と言われてもねえ。(´-ω-`)

巨星墜つ。村上村上“ポンタ”秀一さん,大塚康生さん死去

村上“ポンタ”秀一さんが亡くなったと聞いてショックを受けていたのに、その直後に大塚康生さんも亡くなったことを知って更にショックを受けている。(;_;)

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www.nikkansports.com

moviewalker.jp

 

www3.nhk.or.jp

「この人が参加してるなら聴くか(観るか)」と思わせる名職人が続けざまに亡くなるのは、とても悲しい。(;_;)

福祉を削ったツケは子供が払う

自分がアルバイトとして働いている託児所で、夜勤中女の子にわいせつ行為をし、そのうえ女児が「しゃべったら母親とお前を殺すか」などと脅して口止めしていた保育専門学校生が逮捕されましたね。

 

新自由主義者財務省は、社会保障費削減を目指してできるだけ福祉の金を削りたがっているのだから、こういうことが起きても何の不思議もないですね。(−_−;)

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介護もそうだけど、低待遇だと志や適性のある人が生活の為に辞めざるをえなくなりやすいから、足りない人数を補う為に多少の問題は見過ごされやすくなるんですよね。

子供を目的にした性犯罪者が警戒されずにターゲットに近づく為にボランティア団体に入り込むというのは、よく知られた手口だけど、人でが足りない保育施設も入りこむのは簡単でしょうね。

保育の質の劣化が問題となっている今では、ちゃんとした男性保育士やシッターかなんて確認せず、手があればいいやで雇う施設も珍しくないでしょうね。

子供をめぐる環境の貧困さはこういう事件を増やしますね。(´-ω-`)

 

たらの芽は、炭治郎くんの好物です。

 コロナ禍のおかげで飲食業だけでなく、生産者の苦境も続いているけれど、この反応を見てふふっと笑ってしまいました。

鬼滅の刃、昨年から本当に色々な人達を救いますねえ。生産者からのこのツイートに即座に反応してますもの。

たらの芽 の販売に苦戦しています。今の時期に出回るハウス栽培品は季節を先取りした商材のため、需要の大半が飲食店などの業務関係。

二度目の緊急事態宣言が発出されてからは業務需要が激減、荷をさばくのに四苦八苦しています。

店頭で見かけましたら、ぜひお買い上げください。

「炭治郎の好物の危機。」

 画集やファンブックの第二弾も本屋さんで手に入りやすくなった時だから、余計に

 反応が早かったのかしら?

togetter.com

  生産者は助かるし、子供達は喜ぶし、親御さんは食育もできるし、誰にとっても良い結果になるのがいいですね。

タラの芽は炭治郎の好物だから鬼滅効果で売れて欲しい。

 

炭治郎推しのみんなー! (ちなみに、私はこの時期、タラの芽やふきのとう、山独活をひたすらぬか漬けにする人)

 

たらの芽はなんと言っても天婦羅 炭治郎も大好物」

 

天ぷら以外の使い方ありましたら流していただけたら助かります

「鬼滅の炭治郎の大好物!君も炭治郎みたいに強くなろう 」って緑と黒の市松模様のポップを作ってみるのはいかがでしょう

 

これ鬼滅の炭治郎の好物ってことで売ったら子どもとかも食べてみたい!ってなって瞬殺だと思うんだけど

 

鬼滅の刃の主人公・炭治郎の好物たらの芽です。天ぷらにどうぞ」 とPOP作れば良いんですよ。

 

  たらの芽、美味しいですよね。春の味覚ですよね。子供には馴染みのない食材かもしれないけれど、大人気作の主人公の好物となれば話は別でしょうね。

 「今日は鬼滅ごはん」と、それぞれのキャラクターの好物を組み合わせて献立を立てている人もいるけれど、そういう献立だと子供も喜びそうですね。

こういう便乗商法は楽しいですよね。(^O^)

 たらの芽は天ぷらが最高だけど、ごま味噌やベーコンとのパスタも美味しそうですね!

 

タラの芽美味しいよねぇ。 今なら炭治郎の好物!ってアピールしたら買う人増えるんじゃないかな? 春巻の皮で巻いて揚げても手軽でおいしいよ〜

 

今日は鬼滅晩ごはん

タラの芽、ふきのとう、蕾菜いんげん、しいたけの天ぷら(炭治郎、伊之助)

ふろふき大根(むいくん)

さつまいも入り炊き込みご飯(悲鳴嶼さん)

さつまいもとたまねぎのお味噌汁(煉獄さん)

美味しくできたので、鬼殺隊のみんなたちにも食べて欲しい

article.yahoo.co.jp

 気が滅入ることが多い時だからこそ、日常の中の楽しいことや嬉しいことが輝きますね。

出かけることは出来なくても食卓の中には春が来ていますね。(^O^) 

 

失敗を許す社会

まあ、でも失敗したものに任し続けるのは、上に立つものの度量が必要とされるから、上に余裕か度量のどちらか(あるいは両方が)ないと難しいかもしれませんね。

誰でもペシャワール会の中村先生みたいに「とりあえず、やってみろ」と失敗を咎めず、成功するまで任せ続けられるとは思えないし。あれは上に立つ者に

「失敗してもいいから経験を積ませて、こいつを育てる」という意志がないと難しいですしね。

昭和30〜40年代までじゃ社会全体にそういう気風があったと、その時代を経験した人は言いますね。まあ、焼け跡からの復興経済期だったし、若い世代、社会の中核を担う筈だった世代は戦争でバカスカ亡くなって人材が不足しているから、人を育てるということは社会の必須課題だったのでしょうけど、それでも

「当初、『開発費どのくらいかかる?』と聞かれたから、僕『一億くらいかかります』って社長に答えたの。実際は三億かかったんだよね。今、考えても社長偉いなあと思うけど、あの人それでも開発中にお金のことで僕達に何も言わなかったの。

 ただ、開発室に様子を見にきてね。どんな様子か聞いて出て行くじゃない。出て行った後、扉の向こうから「はあ〜」って大きなため息吐くのが聞こえるのね。

 で、僕、これは今作ってるものとは別に会社を儲けさせるものを作らなきゃダメだと思って、それを作ったの」

 その「会社を儲けさせないとダメだと思って作った」商品がヒットして、予定通り開発を続けられたそうなのですが、それにしても当初の予算が3倍になっても開発をストップさせなかったというのは凄いですよね。

 かといって社長が甘かったかというとそうではなくて

「作る前に社長に図面を見せたの。そうしたら社長それを見た後、無言でクルクルと図面を丸めてね。ゴミ箱にポイっと放りこんで、そのまま開発室から出て行ったの。あれは本当に怖かった。社長が出て行った後、開発室は凍りついてお葬式だったね」

 失敗を怒りはしない。だが、こんな程度のものに金を出させるのか?という厳しさをしっかりと感じさせるエピソードでしたね。こういう人を育てる厳しさや度量が無くなって、必要な時に必要な人を連れてくればいいやという方向に流れたから社会のブラック化が進んだのかしら?

 人を育てるのはお金がかかりますしね。費用だけを見たら、必要な時だけ買ってくるという考え方が合理的ですよね。そういう人材が手に入る間はね。 

 あと、これは男性だけに限っての話かもしれないけれど、昭和30〜40年代って結構社会に柔軟性があるんですね。学歴とかで色々かっちり決まっているのだけど、能力ある人を救い抜け道があるの。

 こっちでは報いてあげられないけど、こっちでは報いてやろう的な感じで、能力ある奴はどんどん使って会社を伸ばすという話が割と出てくる。(最もコンプラガンガンな今では、それやったら大騒ぎだから出来ないでしょうねえという話も多いけど)

 こういう時代だから、失敗当たり前で色々挑戦できたのかしら?今は、経営者が「失敗当たり前」で長期戦略を練ってもそれを許さない株主も多そうだし。

 会社の成長を見ている株主は、戦略に納得すれば失敗を許容しそうだけど、株価しか見ていない株主は失敗で株価が下がったらギャンギャン騒ぎそうだから、胆力のない経営者は失敗を避ける傾向になりそうだなあ。

 そういえば「やってみなはれ」が社風のサントリーは株式公開していないのでしたっけ。やっぱり自分達の社風が崩れる可能性を嫌がるのかな?

ワクチンと大人の矜持

ワクチン接種が始まりまして。どんなワクチンでも副反応は出ないものはないし(ついでに言えば、どんな薬でも副反応の出ないものはないですね)、不安に思う人が出るのは当然なので、連日ワクチンに関するメリット、デメリットが流れてくるのですが、それってつまり

「ワクチンを打とうと思えば自分はワクチンを打てる」と思っている人が大半だからワクチンに関する話が流れてくるのでしょうね。

 

大半の一般市民が受けられない状況でワクチンに関する情報が玉石混合でビシバシ流れたら、自分も受けたいと思う人達によって暴動が起きますもの。

国民皆保険制度のある国の有り難みだなあ。アメリカはPCR検査を受けるだけでで日本円で30万くらいかかるという話も聞いたなあ。

コロナ禍で失業して保険料を払えなくなった人も多そうだけど、無保険の場合あちらの予防接種費用はいくらくらいかかるのかしら?

今月の古事記講座の時に宗匠

「こんなに連日ワイドショーでワクチンの成分の安全性についての解説が流れるのって日本ぐらいですよ。きっとアフリカの田舎の人だと『ワクチンって何?』という感じだぜ」

 と笑われましたが、そう笑われた後

「ワクチンですか。僕受けますよ。それで何か出たなら出たで仕方ない。この年ですから。10代の子達に打たせるわけにはいかないもの」

 とおっしゃられました。

「こういうのって打ってみないと分からないんですよ。実験はしていても人に打ってみないと分からない。誰かが試さないといけない。それで、もし何か出たら、ああ、これが悪いんだってことで変えられる。」

「予防接種っていうことは集団免疫をつけるってことですから、本当なら子供はマスクなんてしない方がいいんですよ。マスクしないで、どこかで感染して『ちょっと具合悪いね。大人しくしてなさい』で寝込んで治って自己免疫をつける。

それで、ちょっとですまない弱い個体は死んでしまって『ああ、仕方ないね』で諦める。昔だったら、それで話がついた。そうするしかなかった。でも今はそういう時代じゃないでしょう。だから仕方がない」

 だから、大人が先に打って、大丈夫と確信が持てたところで若い人達に打たせる。若い人達の盾となる。大人としての矜持ですね。

 

 宗匠の言葉で思い出したのは「人体実験の世界史」という本で、人体実験というとナチスの実験等を思い浮かべる人が多いでしょうけど、西洋医学の歴史って、自分か自分の家族を実験台にしてという例が非常に多いんですよね。

 有名どころではジェンナーの種痘だし、日本でも華岡青洲の妻という有吉佐和子さんが小説にした話がありましたね。夫の実験台になることを申し出たおかげで、有吉青州の妻は視力を失ったけれど、妻の視力と引き換えに有吉青洲は安全な麻酔薬を得た。

 恐怖と痛みに耐えて治療を受けることも、治療は成功しても痛みと恐怖に耐えられず、そのまま患者がショック死することもなくなり、麻酔薬で眠っている間に必要な治療を終えることができるようになった。

 確実に助かる人が増えた。これも夫を信じて身を差し出した華岡青洲の妻のおかげ(この危うさについても有吉佐和子さんは描写しておりまして、華岡青洲の妹に「怖いことですなあ。兄上は母上と義姉上の争いを知っていた。二人が本当はどう思っているか知っていた。知っていて、素知らぬふりをしてお二人のお申し出を受け入れた」と言わせてますね)

 

 

食べること、生きること

百姓貴族といえば、百姓貴族が縁で一時期酪農をしていた方が、その思い出を綴った記事を見つけまして。

書かれたのが、百姓貴族の最新刊が出た頃だから、ちょうど去年コロナが広がり始めた頃ですね。

これが、なにか凄く良くて。生きるということは他者の命を奪うことだということに自覚のある人は強いなと思ってしまいました。

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酪農時代を振り返ったのは、百姓貴族を読んだからですが、もう一つ、『最近暗いニュースや疲れている人が多いな』と思ったので、命と向き合って仕事をしていた、酪農時代を思い出したかったというのもあります。

今世間は、
コロナウイルス
増税GDP下がる
・日本は後進国になって世界から見ても遅れている
それ以外にも、東京って、
・満員電車
・疲れている人多そう
・他人に無関心
みたいな、人も物も経済も、全体的に暗くなっている気がします。
一度電車でベビーカーを蹴っている人を見たのですが、『思いやりなさすぎだろ。ありえない』と思いました。

僕らって生きる自由が保障されていて、生き方を自分で選択できるのに、何でこんな息苦しく生活しているのだろう?と思います。
酪農は、『命を育む仕事』であると同時に、『命を頂く仕事』『命を奪う仕事』でもあります。
人間が生きていくために、死んでいく命や、生まれた日が悪くて凍傷で死んでしまった仔牛というのも、日常の中で見てきました。

そんなこんなで、個人的に今暗く重い気持ちになっているので、『生きているって素晴らしい!』と肌で感じていた酪農の仕事を、この機会に一度思い起こしてみたかったのです。

 私達食事をしないと生きられませんからね。生きる以上、他者の命を喰らわないと生きられないのです。

これはベジタリアンであっても同じで、植物だって生きてますから食べられたくはないわけですよ。

無農薬で作られた野菜は病虫害にやられないように農薬より毒性の高い成分を作って身を守りますし(詳しいことを知りたい人はエームス・ショックでお調べください)

植物だって自分が捕食されないように色々と知恵を絞るわけです。(だから、めちゃくちゃ厳格なベジタリアンには、「自分から食べて欲しいと思っているもの」だけを食べると動物の乳と果物しか食べない人達がおりますね)

 

以前習いごとの懇親会の時にお坊さんが(お坊さんだから当然菜食主義者なのだけれど)

「私達は生きている限り、他者を喰べずにはいられません。他のものの命を奪わずにはいられません。食事というのは他のものの命をいただくということですから、私達は食事の旅に三度三度業を重ねているんですね。

だから食事のたびに『いただきます』と感謝するのはとてもいいことなんですね。自分が生きる為にいただいた命に感謝する。

そういう形で私達は生きる為の業を減らしていくわけで、食べ物を粗末にするというのは、命を粗末にするということですから、業のうえに業を重ねることになるんですね」

というようなことをおっしゃいましてね。

そういえば「銀の匙」でも自分達が実習で育てた豚を食べることについて色々悩んでいた主人公がベーコンをくれた先輩と

「でも、美味いんですよね。困ったことに」「そうなんだ、美味いんだよな。もう一枚食うか?」

という会話をしていましたね。

島村奈津さんもスローフードについて書かれた本で実の親から障害が残るほど酷い虐待を受けた女の子が里親との農園暮らしの中で、食べるものを育てる、生きる為に家畜をつぶし、つぶした家畜を加工してハムやソーセージにして有難くいただく、の育てる、殺す、食べるその生の営みの繰り返しの中で虐待で受けた心身の傷を癒し、健やかな愛される子供としての姿を取り戻していたことを記していましたね。