「通り魔事件『犯人叩き』の是非論争、加害者への過度な配慮が危険な理由」
というDAIAMONND onlineの記事が
「何故『死にたいなら一人で死ぬべき』という言葉が危険なのか?」
ことについて、まるで分かってなかったので、言葉が仕事のライターでもこういう記事を書くのだから、藤田さんの記事で何が言いたいのか分かってない人も多そうだな、と思いました。
分かる環境にいない、ということなのかもしれないし、被害の大きさに気を取られて藤田さんの記事が今回の加害者への配慮を訴えているのではなく、同様の事件が起こることを危惧しているという当たり前の事実に気がつかない、ということかもしれない。
犯罪は絶対許さない、という当たり前の前提があって、その上で同じことを繰り返さないようどう対策を考えるかという話を藤田さんはしているのですが、どうも分かってない人がいるようで。
(過去、過剰な自殺報道による連鎖自殺が起きた結果、自殺報道についての自主規制ルールができたことを知っている人は、藤田さんが何が言いたのか、すぐ分かったと思うけど。
DAIAMONND onlineの記事は、あからさまにミスリードしてるけど、ここまであきらかにミスリードしてるとなると確信犯なのかな?)
ああいう記事と鵜呑みにする人もいそうだから、こうして江川さんの補足記事が出るのはいいことなのでしょうね。
さすがにジャーナリストはNPO代表よりも文章も論点の整理も上手いから何を問題としているのかが分かりやすいし。
「死にたいと思う人を止める役割の者からすると、そういう言葉は、死にたい人に『死ね』と言っているに等しい。
言っている人たちは、他者を巻き込んだという部分だけを見ていて、事件全体を俯瞰的に見ていないのだと思う。
自殺を考える人をどのように減らしていくかを考えるのが事件の本質。本質を見て欲しい。社会全体が考えていくべき問題と思います」
「同じような事件や惨事を繰り返させないためには、社会全体として、そもそも
『人間が命の瀬戸際に追い込まれることのない社会(環境)』を作る方向で対策を進めていかなければならない。
『窮鼠猫をもかむ』ではないが、社会の中で命や暮らしが追い詰められたとき、そのリアクションとして、社会に対して恨みを抱き、暴力性が内にではなく外に向かって、『誰でもいいから』と殺人を企てる人を皆無にはできないだろう。
そうした人たちに『ひとりで勝手に死んでくれ』と言ったところでなんの実効性もない。むしろ、生き死にのはざまに立たされている人を自殺へと追い込みかねない」
「社会としてやるべきことは、
『殺人を犯して自ら命を絶つよりも、ここでこうやって生きていく方が良い』
と思われる社会を作っていくことではないか。
自殺対策は、『誰も自殺に追い込まれることのない社会』をめざすという方向性で対策を進めている。
『誰も不条理な死を強いられることのない社会』作りを行っていくという理念で対策を進めていかないと、いつまで経っても同じような事件が起き続けるのではないか」
川崎の事件、8050問題も絡んでいるからDIAMOND onlineの記事のような単純な見方をすればいいってものじゃないんだよな。
ああいうミスリードを誘う記事は、加害者への他罰感情を満足させるだけで、再発防止に必要な手段を取ることへの足を引っ張るよね。
もっともああいう記事を持ち出して、藤田さんの記事を攻撃する人もいるから、感情を満足させるには役立つでしょうし、PV数稼ぎには有効でしょうね。