東証のシステムトラブルについての記者会見、東証側の対応を状況の説明の仕方も責任の負い方も褒めたたえる言葉の方を先に見ていたので
「東証の謝罪会見では危機感ゼロで唖然としました」
という言葉を見て、片方で
「トップや役員が、ちゃんとITを理解していて自分の言葉で説明できるレベル。 逆にこれだけ理解しているトップなら安心できる」
「『責任は納入業者である富士通ではなく、サービス運営責任者である東京証券取引所にある』と明言し信義を護った」
「なんで、ITオペレーションの故障対応のフローについてまで説明してるの。
アラームの分析、故障対応、被疑箇所の推定、情報配信などなど これって会見で聞くこと?? もうオペレーション勉強会じゃん!」
という評価と
「危機感ゼロ」
という評価。同じ記者会見で、どうしてこう真逆の方向に評価が分かれたのかなと思いました。ここまで反応が真逆だと、やっぱりそこに間にいる報道の影響を見てしまうんですよね。
東証の記者会見、東証への評価は高いけれど東証に質問している報道記者への評価は低いんですよね。
「まともな質問を投げている人間の方がレアで重複質問がぼこぼこ飛ぶし、そもそも説明がまともに出来ていない」
「会見生映像が一番わかりやすいなら記者なんていらない」
「任天堂が既存メディアに愛想を尽かし自ら情報発信チャンネルを持った理由がよくわかる。」
「一般人には分かりにくい言葉を噛み砕いて報道するのがマスコミの仕事だろうに。
僕には分からないからもっと簡単な言葉で教えてくださいなんて仕事放棄してんじゃない」
「難しい話を老若男女に噛み砕いて報じるのがあなた達の仕事では?」
「事前に勉強もせず、配られた資料に書いてあることも会見内容も理解できず、専門家に素人向けの回答を求め、ただお気持ちだけしか聞き出すことしかできないような人しか送り込めないくらいマスコミは斜陽化してるんでしょうか。」
「報道には〇〇担当とかって各分野に明るい記者がたくさんいて、会見で不足している情報は質疑で巧みに引き出し、専門家の難しい言葉を視聴者や読者にかみ砕いて伝える仕事をしてくれるものだとずっと思っていたのですけれど」
もう評価ボロボロ。東証の会見への評価が高かった分、レベルの違いが際立ったしまうんですね。
「これからはこういうネット中継が増えると思うので、やり取りをテキスト起こしして質疑応答を評価するサイトが現れれば面白いなと思います。
回答の仕方はよかったか、そして、質問する記者のレベルはどうか。
記者も所属と実名を明かして質問をするので、質問そのものが評価にさらされるようになれば、質問のレベルも上がるでしょうし、出来の悪い記者は淘汰されると思うんですけど」
という声まで出るくらい評価が低い。(まあ、本当にそういうサイトができたら、それはそれで面白いですけどね)
原発事故の頃から勉強不足の記者がいいかげんな記事を書くことについては批判はあったけれど(最近も水害ボランティアの記事で「泥の中を素肌をさらした子供が後片付けをしたことを感動ボランティア記事にするんじゃない!そこはまず破傷風の危険について触れるところだろう!」という批判がありましたね)、新型コロナ関連でいいかげんな記事や番組が多かったから、報道を見る目が厳しくなっているのでしょうね。
まあメーカーは花森安治が「暮らしの手帖」の編集長だった頃から厳しい製品チェックにさらされて、良い製品は称え、悪い製品は冷静に欠点を指摘するを行われてきたので、報道記事が同じように品質チェックされるようになっても仕方ないんじゃないですかねえ。
悪貨が良貨を駆逐するは世の常ですもの。良貨が駆逐され悪貨がはびこったら困るのは私達ですものね。
良貨が駆逐されることがないように、私達がメディアリテラシーをあげることは必須ですが、記事の質も評価されるようになるのは悪いことではないと思いますね。