火曜日の思索メモ

思ったこと、考えたことの記録です。

ワクチンと大人の矜持

ワクチン接種が始まりまして。どんなワクチンでも副反応は出ないものはないし(ついでに言えば、どんな薬でも副反応の出ないものはないですね)、不安に思う人が出るのは当然なので、連日ワクチンに関するメリット、デメリットが流れてくるのですが、それってつまり

「ワクチンを打とうと思えば自分はワクチンを打てる」と思っている人が大半だからワクチンに関する話が流れてくるのでしょうね。

 

大半の一般市民が受けられない状況でワクチンに関する情報が玉石混合でビシバシ流れたら、自分も受けたいと思う人達によって暴動が起きますもの。

国民皆保険制度のある国の有り難みだなあ。アメリカはPCR検査を受けるだけでで日本円で30万くらいかかるという話も聞いたなあ。

コロナ禍で失業して保険料を払えなくなった人も多そうだけど、無保険の場合あちらの予防接種費用はいくらくらいかかるのかしら?

今月の古事記講座の時に宗匠

「こんなに連日ワイドショーでワクチンの成分の安全性についての解説が流れるのって日本ぐらいですよ。きっとアフリカの田舎の人だと『ワクチンって何?』という感じだぜ」

 と笑われましたが、そう笑われた後

「ワクチンですか。僕受けますよ。それで何か出たなら出たで仕方ない。この年ですから。10代の子達に打たせるわけにはいかないもの」

 とおっしゃられました。

「こういうのって打ってみないと分からないんですよ。実験はしていても人に打ってみないと分からない。誰かが試さないといけない。それで、もし何か出たら、ああ、これが悪いんだってことで変えられる。」

「予防接種っていうことは集団免疫をつけるってことですから、本当なら子供はマスクなんてしない方がいいんですよ。マスクしないで、どこかで感染して『ちょっと具合悪いね。大人しくしてなさい』で寝込んで治って自己免疫をつける。

それで、ちょっとですまない弱い個体は死んでしまって『ああ、仕方ないね』で諦める。昔だったら、それで話がついた。そうするしかなかった。でも今はそういう時代じゃないでしょう。だから仕方がない」

 だから、大人が先に打って、大丈夫と確信が持てたところで若い人達に打たせる。若い人達の盾となる。大人としての矜持ですね。

 

 宗匠の言葉で思い出したのは「人体実験の世界史」という本で、人体実験というとナチスの実験等を思い浮かべる人が多いでしょうけど、西洋医学の歴史って、自分か自分の家族を実験台にしてという例が非常に多いんですよね。

 有名どころではジェンナーの種痘だし、日本でも華岡青洲の妻という有吉佐和子さんが小説にした話がありましたね。夫の実験台になることを申し出たおかげで、有吉青州の妻は視力を失ったけれど、妻の視力と引き換えに有吉青洲は安全な麻酔薬を得た。

 恐怖と痛みに耐えて治療を受けることも、治療は成功しても痛みと恐怖に耐えられず、そのまま患者がショック死することもなくなり、麻酔薬で眠っている間に必要な治療を終えることができるようになった。

 確実に助かる人が増えた。これも夫を信じて身を差し出した華岡青洲の妻のおかげ(この危うさについても有吉佐和子さんは描写しておりまして、華岡青洲の妹に「怖いことですなあ。兄上は母上と義姉上の争いを知っていた。二人が本当はどう思っているか知っていた。知っていて、素知らぬふりをしてお二人のお申し出を受け入れた」と言わせてますね)