火曜日の思索メモ

思ったこと、考えたことの記録です。

失敗を許す社会

まあ、でも失敗したものに任し続けるのは、上に立つものの度量が必要とされるから、上に余裕か度量のどちらか(あるいは両方が)ないと難しいかもしれませんね。

誰でもペシャワール会の中村先生みたいに「とりあえず、やってみろ」と失敗を咎めず、成功するまで任せ続けられるとは思えないし。あれは上に立つ者に

「失敗してもいいから経験を積ませて、こいつを育てる」という意志がないと難しいですしね。

昭和30〜40年代までじゃ社会全体にそういう気風があったと、その時代を経験した人は言いますね。まあ、焼け跡からの復興経済期だったし、若い世代、社会の中核を担う筈だった世代は戦争でバカスカ亡くなって人材が不足しているから、人を育てるということは社会の必須課題だったのでしょうけど、それでも

「当初、『開発費どのくらいかかる?』と聞かれたから、僕『一億くらいかかります』って社長に答えたの。実際は三億かかったんだよね。今、考えても社長偉いなあと思うけど、あの人それでも開発中にお金のことで僕達に何も言わなかったの。

 ただ、開発室に様子を見にきてね。どんな様子か聞いて出て行くじゃない。出て行った後、扉の向こうから「はあ〜」って大きなため息吐くのが聞こえるのね。

 で、僕、これは今作ってるものとは別に会社を儲けさせるものを作らなきゃダメだと思って、それを作ったの」

 その「会社を儲けさせないとダメだと思って作った」商品がヒットして、予定通り開発を続けられたそうなのですが、それにしても当初の予算が3倍になっても開発をストップさせなかったというのは凄いですよね。

 かといって社長が甘かったかというとそうではなくて

「作る前に社長に図面を見せたの。そうしたら社長それを見た後、無言でクルクルと図面を丸めてね。ゴミ箱にポイっと放りこんで、そのまま開発室から出て行ったの。あれは本当に怖かった。社長が出て行った後、開発室は凍りついてお葬式だったね」

 失敗を怒りはしない。だが、こんな程度のものに金を出させるのか?という厳しさをしっかりと感じさせるエピソードでしたね。こういう人を育てる厳しさや度量が無くなって、必要な時に必要な人を連れてくればいいやという方向に流れたから社会のブラック化が進んだのかしら?

 人を育てるのはお金がかかりますしね。費用だけを見たら、必要な時だけ買ってくるという考え方が合理的ですよね。そういう人材が手に入る間はね。 

 あと、これは男性だけに限っての話かもしれないけれど、昭和30〜40年代って結構社会に柔軟性があるんですね。学歴とかで色々かっちり決まっているのだけど、能力ある人を救い抜け道があるの。

 こっちでは報いてあげられないけど、こっちでは報いてやろう的な感じで、能力ある奴はどんどん使って会社を伸ばすという話が割と出てくる。(最もコンプラガンガンな今では、それやったら大騒ぎだから出来ないでしょうねえという話も多いけど)

 こういう時代だから、失敗当たり前で色々挑戦できたのかしら?今は、経営者が「失敗当たり前」で長期戦略を練ってもそれを許さない株主も多そうだし。

 会社の成長を見ている株主は、戦略に納得すれば失敗を許容しそうだけど、株価しか見ていない株主は失敗で株価が下がったらギャンギャン騒ぎそうだから、胆力のない経営者は失敗を避ける傾向になりそうだなあ。

 そういえば「やってみなはれ」が社風のサントリーは株式公開していないのでしたっけ。やっぱり自分達の社風が崩れる可能性を嫌がるのかな?