「子育て罰」を読み始めたのだけれど、冒頭の「票取り道具としての『こども庁』でいきなり読む気が失せて困ってる。
思わず著者のプロフィールを確認しちゃいましたよ。
「京都大学教育学部卒業、博士、日本大学文理学部教授」「大阪市立大学 博士課程単位取得退学 博士 立命館大学産業社会学部准教授」
このプロフィールで、こういう言葉がでるのかねえ。内閣府子どもの貧困対策に関する有識者会議の構成員が「虐待サバイバーの声を国会に!」でこども庁の設立を目指してきた動きを知らない筈はないと思うけど。
だって子ども庁創設の提案、要望書を出したのは2016年で、その後も繰り返しこの件について情報を発信し続けてるのよ。
そもそも子ども庁設立の要望を出したのだって、「児童虐待案件の管轄を決めてくれ」と再三依頼したのに、どの省庁もやりたがらない。
あげくの果ては、どこが管轄なのか問い合わせをした議員に管轄を決めて欲しいと言い出す姿勢だったからですよね。
どの省庁も、自分のテリトリー範囲のことは把握しているけど、そこしか分からないから児童虐待や子どもに関数する問題について断片的にしか分からない。
総合的に情報を集め、リーダーシップをとってこの問題に当たろうという省庁はない。(まあ、どの省庁も過重労働に悩んでいるから積極的に厄介な仕事を増やしたくないのだろうけど)
内閣府、文科省、総務省、厚労省、法務省、警察庁が個々にそれぞれの担当の情報を抱えているだけ。そもそも連携できる仕組みがないから情報共有できる筈がない。
この状態を解消し、子どもに関する社会問題を総合的に解決することを目的に創設を要望して提案したのが、そもそもの始まりでしたよね?
「こども庁」構想を菅政権が打ち出した時「突然浮上した」と枕詞をつけて批判記事を書くジャーナリストが多くて。
ああ、この人は子供に関することは興味ないんだな。日頃書いているのが、金融、経済政策、社会記事だから、そりゃ児童虐待になんて興味はないし、どうしたら子供達の命を救えるから模索してきた人達の動きについては関心は薄いよなあ、と思ったけれど教育学者の認識でもこの程度か。
教育費問題や教育財政など、教育とお金が研究テーマの人のようだから、それ以外の子供に関する問題には関心が薄いのかなあと思ったけれど、パラパラとめくったら一応「こども庁」設立のきっかけとなった「子ども行政のあり方」勉強会にもちゃんと取材しているのね。
Children First勉強会第二次提議に示された「こども庁案」を引用しているから、自民党有志議員「Children First こども庁構想」については、ちゃんと評価して動きを注目しているのね。これでこの本を読む気力がわいてきたわ。
それにしても「子育て罰」をパラパラめくったら、こども庁設置構想を受けて、公明党が菅首相い提言したのが「子ども家庭庁」であることにわらった。
公明党以外も各党の「こども庁」に対する反応とその党の子どもに対する政策が載っているけれど、それぞれの党の考え方が出ていますね。
何故「子ども家庭庁」という名前にわらったかというと「Children First 子ども行政のあり方勉強会」は第六回めの勉強会の時に虐待サバイバーの人を招いているのね。
その方が、その当時の名称だった「子ども家庭庁」に厳しい提言をしているんですよね。これは固定観念からの言葉だと。
「家庭という言葉で傷つく子ども達もいる。虐待を受けている子どもにとっての家庭は、毎日生きることに必死な戦場を指す言葉」
「家庭はあたたかい場所であり、そうでなければいけないという固定観念と現状のギャップに苦しむ人もいる」
この提言を受けた後、名称を変えることを決めて、当事者である子どもたちも読むことができるように、すべてひらがなで「こども庁」に表記変えたんですよね。
言葉一つにも、それぞれの考え方が現れますね。