火曜日の思索メモ

思ったこと、考えたことの記録です。

どの立場から見ることで変わること。

東洋経済竹中平蔵さんのインタビュー記事が予想通りの反応になっていますね。

「私が『弱者切り捨て論者』というのは誤解」と竹中さんはインタビューで答えていまして。

toyokeizai.net実際竹中さんは自分が弱者を切り捨ててるつもりはまったくないし、自分は国の為に提言していると思っているのでしょうが、インタビューを載せた雑誌とインタビューへの批判を載せた雑誌で、竹中さんの主張で利益を受ける側と不利益を受ける側が、わりとはっきり見えるなあ、と。

jisin.jp

竹中さんのインタビューを読むと、この方自分が提言するベーシックインカム政策が

何故受け入れられないのか、まったく分かっていないのだろうなという気がしますね。

(分かっていてポジショントークしている可能性もあるけれど)

このインタビューを読むと、表現やコミュニケーションについて記した山田ズーニーさんの著書を思い出したりしますね。

「あなたというメディアが発信した情報や行動で伝わり方が違う」の良い例だな、という感じですね。

竹中さん、自分の過去の行動が現在の反発になっているとは思っていないのでしょうね。

同じことを言っていても信頼されている人が発信することと、そうでない人が発信することでは受け入れられ方が違いますしね。

(某メンタリストさんが炎上した時、間違えられないか心配されていた方への反応が

「あの人がこんなことを言う筈がない」で、日頃の行動って大事だな、としみじみ思いました)

togetter.com

以前、ご自分の専門が原子力だったので、原発事故の後。国からの要請で今何が起こっているのかを現地に説明に言った方にお話しを聞く機会がありまして。その方が

「僕、依頼された時にもの凄く親権に悩んだんですよ。どういう風に説明すれば分かってもらえるだろうか。どういう資料を作れば、何も知らない人達に今何が起こっていて、どんなことに気を付ければいいのかを理解してもらえるか。

 ところが、僕がどんなに分かりやすい資料を作っても会った人達に聞いてもらえないんですよ。

『また、騙そうとしているんじゃないか』『自分達が素人だと思って誤魔化そうとしているんじゃないか』と思われて説明会にも来てもらえないんです。

 あれは僕、凄く勉強になりました。僕はそれまで『正しいことを言えばちゃんと聞いてもらえる』と思っていたんです。

 でも、あの件で『正しいことを言うだけじゃだめなんだ』『正しいことを分かってもらうには、聞いてもらえる状況を作らないとダメなんだ』ということが、よく分かりました。

 もう、どうすれば話を聞いてもらえるか、僕もの凄く考えました。どうしたら聞こうという気になってもらえるか。

 で、僕一升瓶を持って聞いてもらえない人達のところに行ったんです。その人達と一緒に呑んで、その人達の思っていることとか、考えていることとか色々聞かせてもらって。そうしているうちに

『難しい話は、よく分からないけど、あんたの言うことなら聞いてみてもいいかな』

 と、思ってもらえるようになったんです」

 日本は、調整型リーダーの国だそうで。これやっぱり自然災害の多い島国という日本の風土は影響しているのでしょうね。

 大陸のように人も資源も多い国だと旗振り役の「こっちへ動け、動かないと切る捨てる」で、ついていける層だけでも国が回るし。

 ついていけない層は足手まといだから切り捨てるという流れになりやすいけれど、日本でそれをやったら手が足りなくて回らなくなるから、ともかくどうにかして、いる人間を使えるようにしないと。その為には、それぞれの役割を考えて、という方向に流れやすいのでしょうね。

 これは、これで悪いことではなくて。海外で働いていた方の体験記で

「会議というと、私に議長が回ってきて。『英語もそんなに得意じゃないのに、何故?』って思ったけれど、そのうちに私に議長を依頼する方が期待するのは語学でないことが分かってきて。

欧米人は会議の時、ガンガン主張して対立するけれど、あれは必ずしも対立したくて対立しているわけではないんですよね。

お互いの面子とか、ここで相手の主張に従ったら、その後の流が面倒になりそうだとか、そういう色々な思惑があって対立していることもあるんです。

議論が白熱しているように見えても空回りしていることもあるし。議論している側もそのことを理解していて「誰か止めてくれないかな」と思っていることもある。

そういう時、日本人は相手の顔を立てるようにファシリテートするので、議論している側も互いに『自分が勝った!』と思って、空回りしていた議論をやめて本来の議題に立ち戻ったりすることがあって、そういう会議をスムーズに進ませる為の役割を私に求めていることが分かってきたんです」

 と、いうようなことが書かれていて、適材適所とはこういうことかと思ったのですが、今はなんとなく突き上げられやすい調整型リーダーですが、これはこれでもの凄く大変なんですよね。

「おっしゃることには納得できません。しかし、今回は仕方がない。あなたの顔を立てましょう」

 と納得させられるだけの人間力が必要とされる訳ですから。

 自分達の利害を考えたら、とてもじゃないが納得できない。けれど全体の利益を考えたら、あなたがそうおっしゃることは理解できる。なので今回は貴方の主張を飲みましょう。(その代わり、今回の我々の損害はどこかで報いてください)というのが長年の日本社会の利害調整だったのですが、そういう文化の違いを理解せず、ただ外国では上手くいっているから、と取り入れたって上手くいく筈はないですよね。

 全世界共通で上手くいくやり方なんてないし。世界三大宗教だって、全部が全部同じではなくローカライズされていますものね。

そういうことをあまり考えていないように見えるから、竹中さんの主張に反発する人が多くなったのかしら?

もっとも派遣先が払う報酬のうち、派遣会社の取り分は日本は30%前後。欧州は10%前後だから、派遣法については充分にローカライズされていると言えるのかな?

 明治の政治家、星亨も暗殺されるほど当時の国民には人気が無かったけれど、あの人亡くなった時残したのは財産ではなく借金だったんですよね。

 少なくとも、あの人が進めようとして政策には目的の中に「自分の資産を増やす」は入ってなかったのね。

 まあ、竹中さんが自分の推し進める政策で利益を受ける側になったのは、たまたまかもしれませんが、東洋経済のインタビュー記事、竹中さんの名前には肩書がついていないんですね。

 自分の主張に差し障りがありそうな時には肩書をつけないのかな?批判記事の方だと「パソナグループ会長」と竹中さんの持つ複数の肩書の中の一つが明記されていますね。

まあ、公共サービスにどんどん非正規職員が増えていることの批判があるから、肩書きに「パソナ会長」は入れないだろうとはと思ったけど、大学教授の肩書の方も入れないとは思わなかったな。

東洋経済の方も「また、大学教授の方の肩書きを使うのか」という批判を恐れたのかしら?