火曜日の思索メモ

思ったこと、考えたことの記録です。

内閣府男女共同参画局が主催する研究会が毒蝮三太夫に劣ること

中川翔子さんが内閣府の研究会での「『壁ドン』教育」提案について、「すごく気持ち悪い」「犯罪スレスレ」と語っておりまして。

中川さんの反応は、そりゃまあ、こういう反応は出るよねえという感じですが、こういう反応が当然でてくるのが分からない人達が集っているのが、内閣府男女共同参画局が主催する研究会かと思うと悲しいものがありますね。

「人生100年時代の結婚と家族に関する研究会」の参加者たち、揃って弥生美術館に行った方がいいんじゃない?

www.yayoi-yumeji-museum.jp

5月29日までくらもちふさこ展をやっているから、頭でっかちでない感覚を学べるでしょ。(というか、学んで欲しいわ。「『恋愛弱者』にもチャンスを平等化する『恋愛支援』が必要」として「『壁ドン・告白・プロポーズの練習、恋愛ゼミ』を教育に組み込む提案した」するあたり、自分のダメっぷりに気づいていないようだから)

 

研究会資料の中の「壁ドン・告白・プロポーズの練習、恋愛ゼミ」っていう、あの言葉くらもちさんならどういうネタにするのかしら?

www.gender.go.jp

中川さんの発言でくらもちさんを思い出したのは、中川翔子さんのお父様の中川勝彦さんがくらもちさんと親交があって、作品のなかに中川さんをモデルにしたキャラクターを登場させるほど仲が良かったからです。

 

弥生美術館のくらもちふさこ展。男性も多かったですね。俳優でも、くらもちファンを公言している人もいるから、姉妹や友達や恋人経由でくらもちファンになる人がいてもおかしくないのですけどね。

50年間恋愛ドラマの人気作家の地位をキープし続けただけあって、くらもちさん恋愛を含めた感情の機微や人間関係の機微を描くの、もの凄く上手なんですよね。

「麻子はシチューが得意です」

 あの一言だけで、子供の頃からずっとヒロインと折り合いが悪かった母親が娘を自慢に思っていたこと、演奏家として多忙な中で娘のことをちゃんと見ていたことを分からせるのですものねえ。(会期中原画の入れ替えは何度もあるようだけど、この原画はずっと展示し続けているそうだから、展示する側も「皆さん、この絵は絶対見たいですよね?」と思っているのでしょうね。

 

「壁ドン・告白・プロポーズの練習」を教育に組み込む提案を聞いて、バカだなあと思ったのは形だけ真似てどうするんだ?恋愛なんてマニュアルやフォーマットだけで上手くいくものじゃないでしょう、と思ったからです。

 

だって、くらもちさん、トマトの丸かじりで愛を伝えられる人なのよ。この二人の関係性なら、トマトを丸かじりすることが愛の告白だ。この二人は、そういう関係にあるのだ、と読者を納得させられる愛の表現が出来る人なのよ。

それまで関係性を築いてきた経緯を描いているから、読者が納得できるのであってね。これ現実でも同じなんですよね。

「壁ドン」が通じるのは、互いに「壁ドンしても嬉しい」関係性にあるのが前提だもの。そうでなければ、ただの暴力になるでしょう。

「互いに壁ドンしても嬉しい関係性を築くには、どういう風に相手を尊重していけばよいのか」

 と、前提となる「相手を人として尊重する」「相手も個性も感情もある生きものだと理解する」をすっとばして、「壁ドン・告白・プロポーズの練習」となるから、「内閣府何考えてるの?」

 と呆れられて炎上するのですよ。

 あの研究会の資料、男女共同参加局のサイトにアクセスすれば、誰でも見ることが出来るのだけど、あれを見たら、何故「早稲田大学の社会人向け講座」で、「吉野家の常務取締役」が

「「田舎から出てきた右も左も分からない女の子を無垢・生娘のうちに牛丼中毒にする。男に高い飯を奢ってもらえるようになれば、(牛丼は)絶対食べない」」

 と、口にしてしまったのか、納得できるのですよね。内閣府の研究会資料も発想の土台がや視点が同じだもの。

 意識してやっていることは変えられるけれど、ふだん無意識でしていることは、意識して気をつけようと思わないと出てしまうのですよね。

 人間て感情ある生きものだから、個性も感情もある生きものを相手に発信していることを理解していないと失敗しますよね。

 毒蝮三太夫さんや綾小路きみまろさんが炎上しないのって、あの人達視線が水平で、自分達が話しているのは、個性も置かれている状況もバラバラな感情ある人間であることを理解しているからなんですよね。

 内閣府の研究会も吉野家の元取締役も自分達と同じような人達だけの世界でしか生きていないのね。