火曜日の思索メモ

思ったこと、考えたことの記録です。

「報道特集」の偏向報道と当事者の発言を無視したがるAV新法反対運動の類似性

TBSの報道特集が炎上しておりますが、AV新法反対運動をしている団体関係者の行動理由も同根なのでしょうね。

gendai.ismedia.jp

自分の枠組みでしか世の中を眺めることも、捉えることができない。

 

どちらも悪意あっての行動ではなく、むしろ善意や正義感から来ている行動だと思うけれど、自分の枠組みでしか世の中を見られないから、その枠組みから外れている事実、枠組みの中で作られた自分の見立てを壊す事実があるとそれを無視をする。

togetter.com

人間はお釈迦様ではなので、自分の枠組みから離れて世の中を見るなんて絶対不可能なんですよね。必ずどこかに死角がある。

だから自分とは違う枠組みを持つ人、違う死角を持つ人が必要で、異なる死角を持つもの同士が集うことで補完しあって死角を減らすことが出来る筈だけど、実際は同じ死角を持つ者同士が集うことが多いのでしょうね。

 

同じ死角を持つ者同士が集まっても補完は出来ないから、死角を減らすことは出来ない。

 

逆に集うことで「私達はちゃんと見えている」という自信を深めてしまうから、死角があること自体を認識できなくなってしまうのでしょうね。

そうなってしまうと自分達の枠組みから外れた存在、否定する存在にあった時も

「もしや自分達が認識できない死角があったかも」

 と立ち止まって、自分の枠組みを再点検するよりも、自分の枠組みから外れるものとして排除してしまう。

 自分の枠組みに疑問を持って、再点検するってかなりの労力と気力、体力がいるんですよね。自分のアイデンティティを見つめ直すということだから。

 それよりも自分にとってあってはいけないものを無視する方が楽なのでしょう。

それが報道機関や社会活動にとって相応しい行動か?というと疑問ですが、行動の目的が

「社会を良くすること」

 ではなく、別のものであるのなら、そういう行動になるのでしょうね。

 何かを変えるには?どう変わったのか?の定点調査が必要だから、現状認識がズレないように情報のバージョンアップが必要ですものね。