火曜日の思索メモ

思ったこと、考えたことの記録です。

アメリカの教師不足

教員不足が深刻化するアメリカで「条件を満たした退役軍人に5年間教師として働くことを認める法案が可決された」というニュースが流れてきまして。

「落ちこぼれゼロ法」の成立以来、アメリカの公教育がガタガタになっているという話が流れて久しいけれど、とうとうここまできたのか。

まあ、アメリカは経済的事情から軍人になることを選択する人が多いし(これ「経済的徴兵制だ」という批判もあるけれど、歴史的に見て貧乏人の子が勉強したかったら選ぶ職業は軍人か聖職者の二択ですものね。それに低所得者層の家庭にとっては今では貴重になった「継続的に生活できるだけの収入が入ってくる」職業だし。その代わり危険が大きいことが分かっていても選択するよね)、退役軍人が選べる職業が増えることは国防省にとっては「退役後も心配するな」というアピールにも使えるし、「ともかく数を確保したいんだ」と政府の思惑とも一致するし、この流れは止まらないでしょうねえ。

 

従軍した場所によっては退役した後も深刻な戦争トラウマに悩んでいる人もいるだろうけど「条件を満たした」退役軍人ということは、一応そういう人達は除けるようにはなっているのかな?

そうでなければヤバいですよねえ。他の職業ならともかく教師だし。戦争トラウマでメンタルを病んでいる教師に教えられる生徒が、どういう影響を教師から受けるか分からないし。

 

まあ、日本も特例として教員免許取得を最短2年で取得できる教職課程を設ける方針を示してますし、着々とアメリカの後を追ってますねえ。

政治家の教育への圧力を描いた「教育と愛国」ですが、あれ映画とは別に同タイトルで書籍が出ていまして。(映画は上映時間が限られているので、時間の関係で映画の中には盛り込めなかったことを補足する為に同じタイトルで書籍も出ることはドキュメンタリー映画ではよくある)

 

書籍版の方では、大阪維新が声高に教育改革を言い出した頃に打ち出した「ゼロトレランス」の教育方針が、アメリカの「落ちこぼれゼロ法」を参考にした件が書かれていましたね。

もっとも、その時期より前にアメリカでは「落ちこぼれゼロ法」の負の面が明らかになっていたのですが、アメリカの教育改革を参考にしていたがっていた方々には、そのことは目に入ってなかったようですね。

まあ教育にお金をかけられるだけの資産がない層ほど、負の面の影響が大きいことも問題となっていましたが、アメリカの教育の上澄み部分しか知ろうとしない人達には、そんなことは些細なことだったのでしょう。だって、アメリカではそれは上手くいっているように見えましたし。

 アメリカは大国だから教育にお金をかけられるだけの資産がある層だけでも、国を回すのに足りるだけの人材は確保できることも。

そもそもアメリカには世界中から優秀な人材が集まりやすい国であることも理解していなかったようですし。

 同じことを日本でやったらどうなるか?を考えられるだけの知識と想像力がなかったのでしょう。

 

 長岡藩が、戊辰戦争で負けてご城下が焼け野原となり、藩士達が窮状に喘いでいる時でも、見舞いとして送られた米を売って学校を設立し、身分に関係なく子供達が学べる環境を作ったのも、人材への投資こそが長岡を復活させるという意志あってのことでしょう。

 教育に色々と圧力をかけた政治家達は、自分達は当時の長岡藩の文部総督と同じことをしているつもりだったのでしょうが、映像や文書に記録されている姿を客観的に見るとあまりの違いに涙が出ますね。

 比べるのが失礼な程考えが浅い。単なる自分の手腕アピールに教育を利用しているように見える。そうでなければ自分の支援団体へのアピールかな?

 まあ自分の任期期間だけ好評アピールを維持出来ていれば満足なのかもしれませんね。たとえ、その後が焼け野原でも。教育の成果って、政治家の任期よりもはるかに長く、結果が判るまでに時間がかかりますからボロが出た頃には退任してますしね。

(良い例が都立高校の学校群制度だ。当時の都立高校生が「学生は、そんなことを望んでなかったのに何故政治家って余計なことをしたがるのかしらね?)