火曜日の思索メモ

思ったこと、考えたことの記録です。

和紙の危機

年の終わりなので、今年お聞きして一番ショックだった話を。

 

純日本製の和紙は、このままでいくと手に入れなくなるそうです。

 

和紙を作る為には和紙の原料となる植物だけでなく、植物の繊維と繊維を結びつける役割をするものが必要なのですね。
この糊の役割をするものが和紙の特徴で、和紙の美しさと強さの為には絶対に必要なものなのです。


紙の作り方が日本に伝えられた時は、この糊の役割をする粘液を入れる手法はなかったのですね。
この粘液を入れなくても、とりあえず紙はできます。


以前、TV のバラエティ番組で紙切りの芸人さんがアフリカの学校へ行くという企画がありました。
子ども達の前で、芸人さんが芸を披露し、子供達にも紙切りを体験してもらおうという企画だったのですが、途中で予想外のアクシデントが起こります。


子供達に切ってもらう紙がない。ハサミの方は現地に必要な数がないことを考えて日本から持って行ったのですが、紙が貴重品だという発想が日本人にはなかった。

現地では、子どもに紙を体験させる為に使わせる紙の余裕がなかったのですね。
そこで悩んだスタッフと芸人さんは
「そうだ。和紙だ!」
と紙がないなら作ってしまえばいいと、現地であるもので和紙が作れるかを日本に電話して、和紙の作り方を訊ねました。
現地では沢山あるバナナの葉から和紙を作り、無事現地の子ども達に紙切りを体験してもらう。(この時、現地の子ども達が作った作品もとても良かった!)
番組の終わりで、去っていく車を追いかけながら子供達が手を振る場面がありまして。現地の子供達と子供達を見守っていた学校の先生にとっては、やって来た日本人達はマレビトだなあ、と思いました。

 

で、こういう紙切りを体験したことのない子ども達に作ったような素朴な味わいの紙なら、糊の役割をするネリは入れなくても出来ます。

けれど、和紙特有の白さを出すには、糊の役割をするものがないと無理。

もっと白く!もっと綺麗に!となると、材料となる植物の繊維を綺麗にしなければいけない。綺麗にする為には何度も洗う。洗うと植物の繊維が持っている粘りが失われてまとまらなくなる。
そこで日本では流しすきという技術を生み出したのですね。奈良時代には既に、この技術が生まれたのだから、日本人どれほど入ってきたものを自分達が使いやすいように改良するのが好きなの。

当時、紙を何に使うか?といったら経本。尊い教えを記す紙は綺麗な紙がいい。

綺麗な紙を作るには繊維を綺麗にする必要があるが、繊維を綺麗にすればするほど繊維から粘りが失われる。

なら、洗うたびに失われる粘りを補ってあげればいいのでは?

 

色々試した結果、薬草として渡ってきたトロロアオイという植物の根が使えることが分かったのですね。
この植物の根を叩き潰して水につけておけば粘液が出来る。これを繊維を洗う時に加えてみよう。
思惑は大成功し、望んでいた美しさ、強さに加えて、用途ごとに適した紙を作るという種類を増やすことにも成功。

 

こうして私達は和紙という世界に誇れる文化を持っていたのですね。いつまで持っていられるのかは怪しいですが。
このトロロアオイ生産農家は 6 軒だけだそうです。埼玉の行田市にある 6 軒だけ。現在、
日本の農業従事者の平均年齢は 66.8 歳。
そしてその農家さん達のご主人も日本の農業従事者平均年齢世代。家庭菜園ではなく、職業農家ですから
「この年になったら楽をしたいわ」
という発想が出てくるのは当然のことで、その中の一軒が廃業したいと言い出したのです。困ったのは、他の農家です。

6軒しかない農家のうち、1軒が廃業したら、その分他の農家の負担が増える。考えた末、残った農家は決めました。

「だったら、自分達もやめるわ。どうせ作ったって儲からないもの」

 これで純日本産の和紙はお終いです。美濃和紙だけ、市内にトロロアオイの生産農家がいますから純国産和紙は作れますが、他の和紙は作れません。

 海外から代替品を輸入しないと作れません。純日本品が作れなくなったのは和紙だけではありません。漆器はとうの昔に純日本産はありません。日本産の漆は価格競争に負けて、なくなってしまいました。

 国によって漆の質は違いますが、国産漆がない以上輸入漆を使わないといけませんし、買い手に目利きが少なくなってしまったので価格でしか価値を測れません。

 便利が第一になってしまうと、手入れが必要な漆器よりもプラスチックの方が楽です。手入れが楽で安い方がいいとなると綺麗なものは便利と値段に負けて消えていきます。

「仕方ないですよ。それを私達が望んだのですから」

 このお話を聞かせてくれた宗匠は、そう言いました。

「僕は、書家ですから勿論和紙が消えたら困る。僕だけでなく、美術品を修復する学芸員、神社やお寺、色々なところが困る。でも仕方ないですよ。皆が必要ないと思ったものが消えていくのが歴史の常ですから。遺したいと思っている人が少ないのに、無理に遺そうとすると歪みが出る」

 和紙が作れなくなると困るものの一つにお札があります。日本の紙幣は和紙の技術があってはじめて成り立つもの。世界有数の技術の粋が詰まっています。

 国が電子マネーを推進させたがっているのをみると、この技術が失われた後のことを考えているのかな?と思ったりもします。どんなに得難いものでも、どんなに貴重なものでも、それを遺したいと思った人がいないと消えていく。

 宗匠のおっしゃることは、とても正しい。事実、江戸時代の栽培植物は絵画にしか姿が残っていないものが沢山あります。

 江戸時代、日本の栽培技術は世界トップクラス。大名や富裕な商人は、見たこともない美しい花を生み出す植木屋を競って保護しました。明治期に入り、庇護者を失った花々は、姿を消していきました。

 後の世の人が、絵に描かれたものではなく、本物の花が見たいと願ってもそれは叶いません。誰かが種を取っていれば叶うかもしれませんが、取っていた人が個人の感傷だと持っていることを人に言わなければ伝わりません。

 

 本物が消えてしまっても、安い価格の代替品を海外から輸入すれば困らない。それも一つの道理でしょう。何が消えたのか分からないのなら、消えたものを惜しまなくてすむ。

 そうやって少しずつ少しずつ、この国から豊かさが失われていく。

 

「百姓の百の声」を観たのですが、私が観た時は希望者は監督との茶話会で参加出来る日でした。その時に監督にこの話をしたら
「和紙もですか」
 と、言われました。「百姓の百の声」は、農家さん達の凄い技術にスポットを当てたドキュメンタリーですから、逆に言えば監督は凄い技術が継承されず消えてゆく様を、とても多く見たのでしょうね。

農業が技術だということも分かっていない人も多そうだし。宗匠トロロアオイについて
「僕、農業高校などで栽培技術だけでも伝えていくことは出来ないかな、と思っているんだけどね」
 と、おっしゃておりました。確かに凄い技術を伝えていけるのは学校かアマチュアなのかもしれません。だって凄い技術の価値が分かる消費者を育てるのは時間がかかるし、その前に技術が消えてしまいそうですから。

 鬼滅の刃の火の神神楽ではありませんが、その行為がどれだけ大切か理解しないまま伝えていたことが、後の誰かを助けることもあるかもしれませんね。