火曜日の思索メモ

思ったこと、考えたことの記録です。

和紙の危機

年の終わりなので、今年お聞きして一番ショックだった話を。

 

純日本製の和紙は、このままでいくと手に入れなくなるそうです。

 

和紙を作る為には和紙の原料となる植物だけでなく、植物の繊維と繊維を結びつける役割をするものが必要なのですね。
この糊の役割をするものが和紙の特徴で、和紙の美しさと強さの為には絶対に必要なものなのです。


紙の作り方が日本に伝えられた時は、この糊の役割をする粘液を入れる手法はなかったのですね。
この粘液を入れなくても、とりあえず紙はできます。


以前、TV のバラエティ番組で紙切りの芸人さんがアフリカの学校へ行くという企画がありました。
子ども達の前で、芸人さんが芸を披露し、子供達にも紙切りを体験してもらおうという企画だったのですが、途中で予想外のアクシデントが起こります。


子供達に切ってもらう紙がない。ハサミの方は現地に必要な数がないことを考えて日本から持って行ったのですが、紙が貴重品だという発想が日本人にはなかった。

現地では、子どもに紙を体験させる為に使わせる紙の余裕がなかったのですね。
そこで悩んだスタッフと芸人さんは
「そうだ。和紙だ!」
と紙がないなら作ってしまえばいいと、現地であるもので和紙が作れるかを日本に電話して、和紙の作り方を訊ねました。
現地では沢山あるバナナの葉から和紙を作り、無事現地の子ども達に紙切りを体験してもらう。(この時、現地の子ども達が作った作品もとても良かった!)
番組の終わりで、去っていく車を追いかけながら子供達が手を振る場面がありまして。現地の子供達と子供達を見守っていた学校の先生にとっては、やって来た日本人達はマレビトだなあ、と思いました。

 

で、こういう紙切りを体験したことのない子ども達に作ったような素朴な味わいの紙なら、糊の役割をするネリは入れなくても出来ます。

けれど、和紙特有の白さを出すには、糊の役割をするものがないと無理。

もっと白く!もっと綺麗に!となると、材料となる植物の繊維を綺麗にしなければいけない。綺麗にする為には何度も洗う。洗うと植物の繊維が持っている粘りが失われてまとまらなくなる。
そこで日本では流しすきという技術を生み出したのですね。奈良時代には既に、この技術が生まれたのだから、日本人どれほど入ってきたものを自分達が使いやすいように改良するのが好きなの。

当時、紙を何に使うか?といったら経本。尊い教えを記す紙は綺麗な紙がいい。

綺麗な紙を作るには繊維を綺麗にする必要があるが、繊維を綺麗にすればするほど繊維から粘りが失われる。

なら、洗うたびに失われる粘りを補ってあげればいいのでは?

 

色々試した結果、薬草として渡ってきたトロロアオイという植物の根が使えることが分かったのですね。
この植物の根を叩き潰して水につけておけば粘液が出来る。これを繊維を洗う時に加えてみよう。
思惑は大成功し、望んでいた美しさ、強さに加えて、用途ごとに適した紙を作るという種類を増やすことにも成功。

 

こうして私達は和紙という世界に誇れる文化を持っていたのですね。いつまで持っていられるのかは怪しいですが。
このトロロアオイ生産農家は 6 軒だけだそうです。埼玉の行田市にある 6 軒だけ。現在、
日本の農業従事者の平均年齢は 66.8 歳。
そしてその農家さん達のご主人も日本の農業従事者平均年齢世代。家庭菜園ではなく、職業農家ですから
「この年になったら楽をしたいわ」
という発想が出てくるのは当然のことで、その中の一軒が廃業したいと言い出したのです。困ったのは、他の農家です。

6軒しかない農家のうち、1軒が廃業したら、その分他の農家の負担が増える。考えた末、残った農家は決めました。

「だったら、自分達もやめるわ。どうせ作ったって儲からないもの」

 これで純日本産の和紙はお終いです。美濃和紙だけ、市内にトロロアオイの生産農家がいますから純国産和紙は作れますが、他の和紙は作れません。

 海外から代替品を輸入しないと作れません。純日本品が作れなくなったのは和紙だけではありません。漆器はとうの昔に純日本産はありません。日本産の漆は価格競争に負けて、なくなってしまいました。

 国によって漆の質は違いますが、国産漆がない以上輸入漆を使わないといけませんし、買い手に目利きが少なくなってしまったので価格でしか価値を測れません。

 便利が第一になってしまうと、手入れが必要な漆器よりもプラスチックの方が楽です。手入れが楽で安い方がいいとなると綺麗なものは便利と値段に負けて消えていきます。

「仕方ないですよ。それを私達が望んだのですから」

 このお話を聞かせてくれた宗匠は、そう言いました。

「僕は、書家ですから勿論和紙が消えたら困る。僕だけでなく、美術品を修復する学芸員、神社やお寺、色々なところが困る。でも仕方ないですよ。皆が必要ないと思ったものが消えていくのが歴史の常ですから。遺したいと思っている人が少ないのに、無理に遺そうとすると歪みが出る」

 和紙が作れなくなると困るものの一つにお札があります。日本の紙幣は和紙の技術があってはじめて成り立つもの。世界有数の技術の粋が詰まっています。

 国が電子マネーを推進させたがっているのをみると、この技術が失われた後のことを考えているのかな?と思ったりもします。どんなに得難いものでも、どんなに貴重なものでも、それを遺したいと思った人がいないと消えていく。

 宗匠のおっしゃることは、とても正しい。事実、江戸時代の栽培植物は絵画にしか姿が残っていないものが沢山あります。

 江戸時代、日本の栽培技術は世界トップクラス。大名や富裕な商人は、見たこともない美しい花を生み出す植木屋を競って保護しました。明治期に入り、庇護者を失った花々は、姿を消していきました。

 後の世の人が、絵に描かれたものではなく、本物の花が見たいと願ってもそれは叶いません。誰かが種を取っていれば叶うかもしれませんが、取っていた人が個人の感傷だと持っていることを人に言わなければ伝わりません。

 

 本物が消えてしまっても、安い価格の代替品を海外から輸入すれば困らない。それも一つの道理でしょう。何が消えたのか分からないのなら、消えたものを惜しまなくてすむ。

 そうやって少しずつ少しずつ、この国から豊かさが失われていく。

 

「百姓の百の声」を観たのですが、私が観た時は希望者は監督との茶話会で参加出来る日でした。その時に監督にこの話をしたら
「和紙もですか」
 と、言われました。「百姓の百の声」は、農家さん達の凄い技術にスポットを当てたドキュメンタリーですから、逆に言えば監督は凄い技術が継承されず消えてゆく様を、とても多く見たのでしょうね。

農業が技術だということも分かっていない人も多そうだし。宗匠トロロアオイについて
「僕、農業高校などで栽培技術だけでも伝えていくことは出来ないかな、と思っているんだけどね」
 と、おっしゃておりました。確かに凄い技術を伝えていけるのは学校かアマチュアなのかもしれません。だって凄い技術の価値が分かる消費者を育てるのは時間がかかるし、その前に技術が消えてしまいそうですから。

 鬼滅の刃の火の神神楽ではありませんが、その行為がどれだけ大切か理解しないまま伝えていたことが、後の誰かを助けることもあるかもしれませんね。

元幕僚長は、逆さづり保育に保育に違和感がない

裾野市の私立保育園で、園児の虐待で3人の保育士が暴行容疑で逮捕された件について

田母神俊雄航空幕僚長が発したツイートが炎上したことが記事になっていますね。

smart-flash.jp

どういうツイートかというとこれですね。

裾野市の保育園の虐待の話。本当に問題にするほどのことなのか。子供の足を掴んで逆さづりにして子供が喜ぶことなんかよくあることだ。保育士が逮捕されるほどのことなのか。

今朝のニュースでは市長が園長を刑事告発するという。子供を守るのではなく事なかれ主義で自分を守っているのではないか

まあ、こういうツイートすれば、炎上しない筈がないので

残虐な行為を礼賛する人間が空自幹部だったことに恐怖を覚える

いや。やらないでしょ?普通…まして 大切な子どもを預かっている保育園でしょ? あなたの孫がやられても 同じ事 言うとしたら 感覚がずれている!

自衛隊内部では刃物で脅したり、夏場に空調のない部屋に閉じ込めたりするんですか?

という反応は出るのは当たり前なのですが、ここで元航空幕僚長のツイートと、その反響について引用したのは保育園の規制緩和を推進し、ブラックな環境に疲弊する保育士と保育の質の低下を招いた人達は田母神氏と同じ感覚の人達が結構いるのではないかと思ったからです。

一才児の足を掴んで逆さづりにする保育に何の違和感も抱かない人なら、そりゃあ数の確保だけを考えて質の確保を考えませんよね。

保育の質の低下を訴える現場の保育士の言葉よりも数字のマジックで作り上げた「待機児童の減少」という言葉を優先するわけだ。

 

これ「保育園の虐待の話。本当に問題にするほどのことなのか」と発言をしているのが自衛隊の元航空幕僚長だから余計に気になるのですよね。

記事の中でも自衛隊の元幹部がこのは発言をしたということに引っかかっているコメントがありますが、自衛隊でのいじめによる自殺やセクハラ、パワハラは過去何度も出ているので。

www.nhk.or.jp

www3.nhk.or.jp

bunshun.jp

航空幕僚長なら、組織のトップとして、そういうハラスメントが円滑の組織運営にどれだけ害をなすのかは当然理解している筈ですし。

必要なしごきと、しごきを装ったいじめの違いに敏感であるべき立場ですよね。

そういう立場であった人が、乳児を逆さづりにする保育に何の違和感も抱かないのですね。

この方、現役だった頃いじめとしごきの違いをきちんと区別出来ていたのかしらね?(´-ω-`)

保育技術が継承されなかった結果起こること

 裾野市の保育園での虐待の件で、これに限らず技術が継承されなかったことによる弊害がこれからどんどん顕在化していくのだろうな、と思ったりしてます。

 確か「ルポ保育崩壊」じゃなかったかなと思うのですが(保育の規制緩和で何が起こっているのか?という現場からの警鐘ルポは複数の人が出しているので、どの本に書かれていたのかがうろ覚え)、保育を市場化したがったことによる弊害の一つとして「保育技術の断絶」が挙げられているのですよね。

 公立の保育園を民営化した時、それまでの職員は保育サービス会社にスライドして雇用されることになったけれど、人件費の高いベテランというのはサービス会社にとっては有り難い存在ではなく、またベテランの側も園児のケアより経営を優先するやり方についていけなかったり、以前とは違う労働条件で働くことを強いられ体力的に保たなかったりで、辞めていく人が続き、経験の浅い若手が残る。

 経営する側からすれば、若手の方が人件費が安いし、体力もあるのでベテランが辞めていっても問題だとは考えない。むしろ人件費が高くなる前に人が入れ替わってくれた方が経営的に効率が良いと考える。

 国の方針も子供を預ける場所を増やすことを優先して、質の確保よりも量の確保が優先だから、学校を卒後して2〜3年で責任者という保育園が増える。

 保育の規制緩和前の、若手、中堅、ベテランという人員構成が崩れて、以前なら若手に分類されていた経験の浅いものが管理職となる。

保育について悩んでいる時に、ベテランに相談したり、ベテランの子供達への接し方を見て、保育の技を学んだりという技術継承をされない人が増える。

 経験の浅いうちに我流の間違ったやり方を身につけてしまい、自分には保育士としての真っ当な技術が身についていないという自覚のないまま年数を重ね、チームリーダーとなる。

 間違った知識のまま、新しく入ってきた人に「これが子供達に接する時に良いやり方」と我流のやり方を伝える。

 大体こんな感じで保育園での事故や虐待が増えている理由を説明出来てしまうのではないですかねえ。国も保育士の促成栽培を推進しているし。

 保育や介護、畑違いの分野だけど農業などもそうかな。その道のプロの技の凄さを知らない人ほど、その人達の持っている技術の凄さを軽視して「そんなことは、少し学ばせれば素人だって出来る」と軽く判断していそう。

 裾野市の保育園で虐待の対象となったのが一歳児と聞いて「ああ」と思いまっした。保育は、より小さい子を相手にする方が人手も技術もいるのですよね。だから一歳児保育は、保育者の側により余裕が必要となるし、より保育士の能力や技術が試される。

 上手く回っている時は、正しい技が身についていない人でも何とかなったけれど、上手く回っていない時ほど、その人にどれだけきちんとした技術が身についているかが試される。

 これは保育に限った話ではないですが、上手くいかない時ほど、それまでに自分が学んできたことが出る。「自分が経験したことがない困ったこと」にどれだけ対処出来るかで、それまでの学びが出てしまう。

 コロナ禍が始まってから、医療は勿論だけど、保育も介護も今まで経験したことのないことへの対処をしなければならなくなってきているのだから、負担はもの凄く増えているのですよね。

 正直、イラッとすることも増えているでしょうし、こんなこと投げ出したい!と思うことだって珍しくはないでしょう。そこで踏み止まれるか、踏み止まれなくて一線をしまうかに、プロとしての力の差が出てしまうのかなあ。

 技術継承がきちんとされない状態が続くと困ったことに「ベテランのやることよりも経験の浅い新人の方が正しい」という逆転現象も起こりますしねえ。

 間違ったやり方を身につけたベテランよりも、学校で学んだことを現場で活かして実践しようとする新人の方がおかしなやり方をしていることに気づきやすいですしねえ。

 裾野市の保育園の件、内部告発しようとした保育士の訴えを園長が握り潰そ雨としたという話もあるけれど、これも人手の足りない職場あるあるで、余裕のない状態で現場が仕事を回していると問題行動を起こす保育士がいると分かっていても保育園の管理職がそれに対処しないことがあることは前から指摘されているのですよね。(まあ、これは保育や介護や介護だけでなく、どの現場でも起こることかもしれませんが)

 他の職員からの訴えで、その職員の行動が問題があると分かっていても、その職員がいなくなると現場の仕事が回らなくなり業務に支障が出るから見て見ぬふりをする。

 保育についての知識や経験がなく現場の実態が把握できない経営層より、問題行動を起こす現場のベテランの方が力関係で強い。

 裾野市の保育園の話ばかりがクローズアップされているけれど、同時期に富山でも保育園での園児虐待で保育士が書類送検されているのですよね。www3.nhk.or.jp 

 保育の質や、保育士の労務環境を二の次にしてきたツケがどんどん顕在化敷いているから全国的にこういう話は増えていくでしょうね。

正しく保育技術が身についている人ばかりではないですし、正しい保育技術が身についている人が体力的に保たないから続けられないからと辞めていく労務環境がどこまで改善されたのかは疑問ですもの。

 保育士の低待遇も問題だけど、世界的に見ても保育士は高給職ではないのですよね。構造的に利益が上げにくい職種なので、保育職が働きやすいと言われる北欧でも保育士の給料は高い方ではないし。

 ただ北欧は「利益は上げにくいけど、社会にとって必要な職業は公務員」の通例に従って、保育職や介護職は公務員や準公務員扱いにして「給料は高くないけれど、休みは取りやすく、安定して働ける働きやすい職場」という労務環境を提供をしているのですよね。

 子育て世代の保育職にとっては、「自分の子供が急な発熱の為、休みを取りたい時何の問題もなく休みを取れる職場」というのは魅力的でしょうねえ。

 そりゃ給料は高いにこしたことはないけど、「給料よりも子育てと両立して無理なく働き続けられる労務環境の方が大事」「自分が納得できる仕事を出来る方が大事」という人達はおりますし、保育士や介護士を志す人って優しい人が多いからそういう人達の割合が結構多いのじゃないですかねえ。

 そういう人達が現実に疲れ切って職場を去る例が相次いでおりますが、保育や介護を市場化すれば上手くいくと嘯いて、株価だけ見て「これからの成長産業」と、持ち上げた人達は、そんな光景は目に入っていないのでしょうね。

 そうして自分の見たいものしか見てこなかった人達の行動のツケを、自分にされたことを訴える力のない子供達が支払うことになりますね。

 

 

 

書店閉店

家の近くの書店に「1月閉店」の張り紙が出ていて地味にショックを受けています。近くに大学があるせいか、学生も割と多いところだから、この街から書店が無くなるとは思わなかったのですよ。

ちょっと頑張って歩いたら、隣の街に書店はあるし、住んでいる沿線のターミナル駅には書店があるから、それほど困らないと言えば困らないのだけど、よくある売れ筋のビジネス書やベストセラーの一般書だけを置いてあるタイプの書店ではなく、工学系自然科学系から歴史美術系までバランスよく揃えているシナ揃えの良い書店だった他のなあ。

ネット書店は便利だけれど、本はなるべく書店で買うようにしよう。やっぱり無くしたくないものは無くならないように買い支えないと行けませんねえ。

今更な話だけれど、フェイクニュース陰謀論に踊らされる人はこれから更に増えるでしょうね。近くに書店はない。図書館はない。情報収集する手段はネットだけという人は増えていくでしょうし。

これ大都市圏の人にとっては他人事、とはならないでしょうね。大都市圏でもどんどん書店は無くなっているし。図書館に行くには交通機関を使わなければいけないところは珍しくないし。(逆に地方の方が移動図書館などの手段を使って歩いていける範囲で読みたい本を気軽に探せる状況を得られるよう工夫していたりするし)

 

本が無くてもネットがあれば情報収集するには困らないでしょうというご意見もありますが、ネットで正しい情報を得る為には「何を」検査すれば良いのかが分かっていないとゴミ情報やトンデモ情報に引っかかってまともな情報に辿り着けないのですよ。

(このあたりのことは林智裕さんが「『正しさ』の商人」で書いていましたね)

 

最低限「何を」検索すれば良いのかが分かっているとネットは便利なのだけど(今は公開されている一次情報をネットから得ることが出来る時代だし)全く何も分からない状態で情報を得ようと思うなら書店や図書館に行った方がいいと思うなあ。

書店の方がより顕著だけど(市民からの購読リクエストや寄贈書籍があるから100%防ぐのは無理にしても図書館は司書という強力なガードマンがいるから限られたスペースに置くに相応しい本をきちんと選別しているでしょうし)どんな分野にもまともな本とトンデモ本は存在するということがよく分かるから。

 

ビジネス書なんかは、トンデモとまともな本の区別が分かりにくいけど(それでも手にとってパラパラ捲れば分かるけど)、歴史とスピリチュアル(宗教関係をスピリチュアルと書くのは何か違和感があるけど)、メンタルヘルス関係は、見事なくらいトンデモとそうでない本の違いが分かり易いですね。

「大まかな括りをすれば確かに同じジャンルとしてカテゴリ分け出来るのだろうけど、これとこれが隣り合って並べられているんだ」

 という本棚はありますものね。そしてたまに書店での本の並べ方に書店員さんの意思を感じておかしみを感じる時がありますね。本屋さんも商売だから、取次から送られてきた本はきちんと並べるのだろうけど、

「この組合わせで隣り合って並べられているということは『そんなのあるかい!』とツッコミながら並べたな」

 なんてことを思ったりもします。

 

 

西洋館ハロウィン

午後、用事があって山手の丘の上まで行ったのだけど、31日の前日の日曜日だけあって、チビっ子達が賑やかでしたね。

 

渋谷の方は、大変そうだけど、こっちは和やかでしたね。(ご両親や西洋館のスタッフは、ご苦労様だけど)

小さなしのぶさんや、小さなアーニャとすれ違いました。

子供の仮装を見ると、流行りものが分かりますね。

炭治郎くんは、いたけど禰豆子ちゃんは見なかったな。

まぁ、着物着せるより魔女やお姫様の方が楽だからかな。

子供も、はしゃいで走り回っていたから着物だと着崩れしそう。

どうやらスタンプラリーをやっていたらしく、西洋館に入る行列が凄かったですね。

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まあ、ちょうど秋薔薇の時期ですし、庭で薔薇を眺めているだけで、楽しかったけど外交官の家だけ、他とは距離が離れているせいか、列がなかったので入ってしまいました。f:id:oiseauxberceuse:20221030230328j:image
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中が混んでいるなら嫌だなぁ、と思ったけど仮装したスタッフさんが

「ハロウィン仕様の展示になっているからどうぞ」

 と、言ってくれたので、言ってくれるということは、中は混んでいないのだな、と思ったのです。

 スタンプラリーのピークが過ぎた頃だったのかな?仮装した子供達が庭で遊んでいたし。

 もっと10代の仮装組みがいるかな?と思ったけれど、グループではなくカップルで楽しんでいる感じでしたね。

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外交官の家の中は、ハロウィン仕様。スタッフさんの頑張りが見えますねえ。

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家の中は、思っていたよりもゆったり見えましたね。

ハロウィン仕様が可愛かったです。

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ハロウィンといっても、カボチャ、黒猫、コウモリ、という感じで、子供が怖がりそうなものを上手に避けている感じ。

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毛糸なのかな?蜘蛛の巣もきちんと作ってくれていました。

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ベットルームも紫色と蜘蛛の巣でハロウィンらしさを作ってましたね。

こういう、今しか見えない仕様は、やっぱり楽しいですね。

アメリカの教師不足

教員不足が深刻化するアメリカで「条件を満たした退役軍人に5年間教師として働くことを認める法案が可決された」というニュースが流れてきまして。

「落ちこぼれゼロ法」の成立以来、アメリカの公教育がガタガタになっているという話が流れて久しいけれど、とうとうここまできたのか。

まあ、アメリカは経済的事情から軍人になることを選択する人が多いし(これ「経済的徴兵制だ」という批判もあるけれど、歴史的に見て貧乏人の子が勉強したかったら選ぶ職業は軍人か聖職者の二択ですものね。それに低所得者層の家庭にとっては今では貴重になった「継続的に生活できるだけの収入が入ってくる」職業だし。その代わり危険が大きいことが分かっていても選択するよね)、退役軍人が選べる職業が増えることは国防省にとっては「退役後も心配するな」というアピールにも使えるし、「ともかく数を確保したいんだ」と政府の思惑とも一致するし、この流れは止まらないでしょうねえ。

 

従軍した場所によっては退役した後も深刻な戦争トラウマに悩んでいる人もいるだろうけど「条件を満たした」退役軍人ということは、一応そういう人達は除けるようにはなっているのかな?

そうでなければヤバいですよねえ。他の職業ならともかく教師だし。戦争トラウマでメンタルを病んでいる教師に教えられる生徒が、どういう影響を教師から受けるか分からないし。

 

まあ、日本も特例として教員免許取得を最短2年で取得できる教職課程を設ける方針を示してますし、着々とアメリカの後を追ってますねえ。

政治家の教育への圧力を描いた「教育と愛国」ですが、あれ映画とは別に同タイトルで書籍が出ていまして。(映画は上映時間が限られているので、時間の関係で映画の中には盛り込めなかったことを補足する為に同じタイトルで書籍も出ることはドキュメンタリー映画ではよくある)

 

書籍版の方では、大阪維新が声高に教育改革を言い出した頃に打ち出した「ゼロトレランス」の教育方針が、アメリカの「落ちこぼれゼロ法」を参考にした件が書かれていましたね。

もっとも、その時期より前にアメリカでは「落ちこぼれゼロ法」の負の面が明らかになっていたのですが、アメリカの教育改革を参考にしていたがっていた方々には、そのことは目に入ってなかったようですね。

まあ教育にお金をかけられるだけの資産がない層ほど、負の面の影響が大きいことも問題となっていましたが、アメリカの教育の上澄み部分しか知ろうとしない人達には、そんなことは些細なことだったのでしょう。だって、アメリカではそれは上手くいっているように見えましたし。

 アメリカは大国だから教育にお金をかけられるだけの資産がある層だけでも、国を回すのに足りるだけの人材は確保できることも。

そもそもアメリカには世界中から優秀な人材が集まりやすい国であることも理解していなかったようですし。

 同じことを日本でやったらどうなるか?を考えられるだけの知識と想像力がなかったのでしょう。

 

 長岡藩が、戊辰戦争で負けてご城下が焼け野原となり、藩士達が窮状に喘いでいる時でも、見舞いとして送られた米を売って学校を設立し、身分に関係なく子供達が学べる環境を作ったのも、人材への投資こそが長岡を復活させるという意志あってのことでしょう。

 教育に色々と圧力をかけた政治家達は、自分達は当時の長岡藩の文部総督と同じことをしているつもりだったのでしょうが、映像や文書に記録されている姿を客観的に見るとあまりの違いに涙が出ますね。

 比べるのが失礼な程考えが浅い。単なる自分の手腕アピールに教育を利用しているように見える。そうでなければ自分の支援団体へのアピールかな?

 まあ自分の任期期間だけ好評アピールを維持出来ていれば満足なのかもしれませんね。たとえ、その後が焼け野原でも。教育の成果って、政治家の任期よりもはるかに長く、結果が判るまでに時間がかかりますからボロが出た頃には退任してますしね。

(良い例が都立高校の学校群制度だ。当時の都立高校生が「学生は、そんなことを望んでなかったのに何故政治家って余計なことをしたがるのかしらね?)

 

福田村事件追悼式典

99年前の9月6日に起こった福田村事件の犠牲者の追悼式典が行われたというニュースを流れていまして。

www3.nhk.or.jp

 

当時と同じように不安を抱えている人が多い今だから、あえてこの式典のニュースを流したのかな?

 

これ、関東大震災後の混乱で「朝鮮人が井戸に毒を撒いた」等の不安を煽るデマが飛び交っていた頃に起きた事件で。

震災後、不安を煽るデマが飛び交っていたことから、各地で住人達が自警団を結成して自分達のコミュニティ周辺を守っていたのだけれど、その自警団がたまたま通りかかった薬の行商人一行をデマを信じて殺害したのです。

 

事件が起きたのは千葉県東葛飾郡福田村、今の野田市。殺された一行は香川からやって来た行商人の一行で、群馬を回った後、利根川を渡り、茨城に行く為、福田村を訪れたところを奇禍にあったのです。

川を渡る前に神社の近くで休憩を取っていた行商人一行の交わす言葉が、聞き慣れない香川弁であった為、デマで気が立っていた人々の間で

「見慣れぬ人間が集まっている」「使っている言葉が変」「朝鮮人じゃないか?」

 とパッと話が広がり、行商人の一行は殺気だった自警団に取り囲まれてしまったのです。話を聞いてやって来た村長や村の駐在さんが行商人一行に事情を聞いて

「この人達は日本人だ」

 と言っても、行商人一行を取り囲んでいた人達は納得しない。そこで自警団の人々を納得させるために駐在さんが本署に問い合わせしに行っている間に事件はおきたのですね。

 当時、電話があるのは限られた場所だけでしたから、本署に事情を確認しに行く為には駐在さんは、その場所を離れなければならなかったのです。

 駐在さんが本署の警察部長と一緒に戻ってきた時は、妊婦や幼児を含む9名(殺された1人が妊婦だったので犠牲者を10名と数える場合もある)が殺害され、残りの6人も縛り上げられ川に投げ込まれる直前でした。

警察部長の説得で、どうにかこの6人だけは助かったのです。

 

 鶴見でもデマを信じた人達の「朝鮮人を殺せ」に対して「この人達はそんなことをしない」と自警団の要求から中国人や朝鮮人を守り切った警察署長がいましたね。

 それで助かった人の子孫が「曾祖父さんの命の恩人」とその署長さんのことを語っていた記事を読んだことがありますが、その時「非常時にデマに惑わされる人とされない人の違いはどこにあるのだろう?」と思った覚えがありますね。

 関東大震災の後のデマ、実はデマを信じた人々によって日本人も結構殺されているのですよね。数年前の大河ドラマでも地方出身の主人公が震災の後、「方言を話すから」と自警団に取り囲まれる場面がありましたっけ。

 

 福田村事件、加害者達は逮捕されたのだけど

「郷土を朝鮮人から守った俺は憂国の志士であり、その結果誤って殺したのだ」

 という加害者側の主張は、ほぼ通ってしまうのですよね。一応加害者達は、3年から10年の実刑判決を受けたのだけど、判決から2年5ヶ月後、昭和天皇即位の恩赦で全員釈放されていますもの。

 これ近隣の住人が加害者達の為に弁護団をつけようと寄付を募ったことに加え、殺された被害者側が被差別部落の人だったということも大きいのでしょうね。

 香川から関東まで行商に出向いたのは、香川では就職差別もあったり、自分達を養えるほどの田や畑がなかったりで遠く離れた場所まで行商に出ないと生活出来なかったからです。

 この事件、「デマに怯えた人達が朝鮮人と間違えて殺した」ということになっていますが、殺された人達に教育勅語を唱えさせたりしてるので「実は日本人だと気づいていたんじゃない?」説もありまして。

 貧しい行商人に対する差別意識、「汚い格好した怪しい余所者。だったらやっちまえ」で殺した可能性もあると指摘されてますね。

 この事件、ずっと知られないままでいたのですが、1980年代から現地調査が進められて、80年代後半には報道でも取り上げられるようになりました。

 やっぱり本当にヤバい話は歴史にならないと表に出にくいのですよね。現地調査を始めた当初も、もの凄く嫌がられたそうだし。関係者が生きている間は口を閉ざしたままの人は多そう。

 直接、逮捕されたのは8名だけだけど、自警団として集まった人間は200名はいたわけだし。地元では口にするのを憚られる話になっていたので、地元民でもこの件に関わってなかった人は、こういう事件があったことを全く知らなかったそうですね。

 関係者全員が鬼籍に入って、ようやくこの話は表に出しやすくなったのでしょうね。その代わり「何故、こういうことが起きたのか?」の調査も難しくなりましたけどね。

 この事件、森達也さんが劇映画にされるそうですね。森さんがドキュメンタリー以外を撮るのは初めてじゃないかなあ。インタビューで

「被害者視点でなく、加害者視点で撮りたい」

 と語っていましたね。まあ、森さんが撮るなら加害者視点でしょうね。「良き夫、良き父、善良な市民 そういった『普通の人達』が、何故ああいうことをしたのか?それを知りたい」という視点で撮っている作品が多いから。

 福田村事件の加害者の1人は、後に隣接する田村村の村長になってまして。さらに柏市の市議にもなっているのですよね。市議になる程度には人望のある郷土を愛する良き市民であったわけです。

 そういう人達が幼児も許さず殺した。人は不安や恐怖に駆られるとどんなことでも出来る。

 福田村事件が起こってからちょうど100年後の2023年に公開される予定の映画は、一体どういう映画になるのでしょうね?