火曜日の思索メモ

思ったこと、考えたことの記録です。

子どもは、本当に辛いことは隠す

子供の虐待発覚が難しいのは「子供は隠す」からなんですね。

これは日本の貧困が見えにくいのと同じ理由だと思うけれど、子供にもプライドがありますから、家が貧しいとか、自分が親から愛されていないとか思いたくないんですよ。(厄介なことに虐待されている親の中には、自分が虐待されて育った人がいるので傍から見ると虐待行為でも本人は愛情からの躾だと思っている場合もある)

では、周囲からの気づきは?というとオレンジリボン運動は効果なし、とはっきり言っていましたね。

虐待通報ダイヤル「189」は0.02%した利用しなかったそうです。

ナチスの時代から密告制度というのは成功しないんですよ」

 と、今さんがおっしゃっていましたが、よく知っている近所の人を通報するのは心理的な抵抗が大きいのですよね。

 虐待する親が家の外では、人当たりのいい社会人ということもあるし、実際は虐待なんてしていなかったのに、虐待ダイヤルに通報されて

「私は、周りからそんな風に見られていたの?」

 とショックを受けて悩む人もいる。(そういえばナチスの密告制度は「気に入らない奴は通報する」系の無駄情報が多くて成功しなかったんじゃなかったかな?)

 本当に虐待かどうかの通報判断でさえ難しいのに、もし判断が間違いでなかったとしても通報がしたことがばれて報復されたらどうしよう、とご近所トラブルを怖れて通報しない人もいる。

 子供の虐待発覚で一番多いのは警察。小児科医や塾の先生が気づくというパターンも結構あるそうです。

 塾の先生が気づくのに、何故学校の先生が気づかないかというと、虐待されていることが分かるとそれを理由に虐待されている子供を虐める子が出てくるので子供は必死になって隠すそうです。(子供はそういうところは凄く残酷)

 今回のご自分の体験を読み上げた虐待サバイバーの方の中に一人だけ虐待が発覚したことで児童相談所に保護された方がいましたが、その方が虐待されていると周囲に分かったのが高3の時。

 学校で授業中に眠ったことを咎められて、耐え切れず

「先生は何も分かっていない!」

 と泣きながら事情をぶちまけたからなんですね。家で虐待を受けていたので、夜眠ることが出来ず、昼間学校で起きていられないことは、それまでもあったのですが理由を口にしなかったので、周囲の人達はずっと気づかなかったのです。

 耐えに耐えていた我慢が出来なくなって、ようやく言えたのが高校三年生。虐待が発覚したことで児童相談所に保護されることになったけれど、保護されるまでのことはよく覚えていないとおっしゃってました。

 今さんは役に立たないオレンジリボン運動に費用を割くよりも、学校で子供の権利や虐待について教えた方がいい、というご意見でしたね。

 現行法でも子供が自分を虐待する親から裁判で親権を取りあげることは可能だそうです。ところが、そういう方法をあることを子供は知らないからやらない。

 私達は学校で自分の権利について学んでこなかった。どんな権利があるか知らなから、その権利を行使できない。

 これは虐待案件ではないですが、母子家庭で困窮に耐えかねた親が息子に「殺して欲しい」と懇願して、子供が親を殺してしまった事件がありましたね。

 母親殺しになってしまった息子は「生活保護」という制度があることを知らなかったそうです。制度があっても使い方を知らなければ利用できない。

 今回のサバイバーの方に、47歳の時にアダルドチャイルドについての本を読んで、初めて自分のされていたことが虐待だと気づいた方がおりました。

 とくに性虐待だと恥ずかしいと思って人に言わないから、自分のされていることが虐待だと気づきにくいんですね。

「普通」がどういうことかを知らない人は、自分の置かれている状態を「普通」だと思ってしまう。

 長年「異常」を「普通」だと思っていた人はメンタルを病む確率が高いので、虐待をされて育った人が精神疾患を抱える例は珍しくありません。

 人生の早い段階で自分が置かれている状態が「異常」だと気づけたら、「普通」を知っている人に助けを求めることも出来る。

 虐待から逃れた後もに長く残る後遺症に苦しめられなくてすむ。今さんが

「今の教育は奴隷を求める人にとって都合が悪いことは教えられていません」

 と言っていたけれど権利教育の薄さについては、別の場所でも語られているのですよね。(どこで誰が語ったか、すぐには思い出せないのですが、そのことで生じる問題についても語られていたような覚えがあります)

 まあ、この国は権利教育どころか性教育でさえ、純潔教育をやりたい議員の横やりで後退した例がありますからねえ。

「誕生学」の取り入れ方を見ると分かりやすいけど、必要なことよりも教えたい人が多いことの方が学校に取り入れやすい傾向はあるかもしれませんねえ。

「誕生学」なんて、精神医学の臨床現場から「百害あって一利なし」という批判があがっていても、あれだけ取り入れられていますものね。

blogos.com

blog.livedoor.jp

www.huffingtonpost.jp

yomidr.yomiuri.co.jp

 

 

#防止対策イベント

「子ども虐待防止策イベントin神奈川」

平塚で開催された「子ども虐待防止策イベントin神奈川」に行ってきました。

今は、為政者でなく民の方が
「これは、なんとかせなあかん」
と思う時代なんですねえ。これ企画したのは普通のお母さんですものねえ。

ライターの今一生さんが虐待について記した著書や動画で各地で実施していた「子ども虐待防止策イベント」の存在を知った人達が
「自分でも何かできないか」
 と手弁当のボランティアで開催したイベントで、とてもいいイベントだったのだけど、国の失政と有権者の怠慢の結果を、自分の身体で味わった人達に目の前で語られるというのは、結構きつい。

だって皆さん、現在の民法では虐待する親から逃げ出した子供を匿った時、匿った相手が親族でも親権者である親が
「誘拐だ!」
 と、警察に訴えてたら誘拐罪で逮捕されてしまうって知ってます?

自分を虐待、性虐待した親でも、現在の民法では親の介護、看護、扶養の義務があるって知ってます?

これを、長年放置していたのが社会や有権者の怠慢ではないと私は言えないわ。

親の虐待によって完全失明した人や、親の性虐待から逃れる為に結婚したら、妊娠後に夫がDV野郎に代わり、そのうえ自分が娘を可愛がると娘を虐待。そのうちに性虐待まで始めたことを知って逃げ出した体験を読みあげる人を前にして、何もしてこなかった私達が何を語ればいいというの。

「無知は、罪」と、いうことがよく分かるイベントでしたね。

このイベント、2018年から市民ボランティアで全国各地で開かれているそうだけど、それだけ
「なんとか、せなあかん!」 
 と、思う人が多いのでしょうね。

イベント最後に主催者の人達の挨拶があったけれど、政治思想なんてなくて、普通のお母さん達が普通に

「子どもがこんなつらい目にあっているなんてひどすぎる!どうしたら、こんな目にあっている子ども達を救うことができるんだろう」

 という考えで開いたイベントという感じでしたね。(「子どもを守りたい」が政治思想じゃないのか、といえば、まあ政治思想なんだけど。今の日本で「子どもを守りたい」の政治活動は他に邪なものが入りやすいですからね。)

「こんなこと、自分に出来るか分からないけど、でも放っておくわけにはいかないじゃない!」

 というのは普通の人にとって一番理解しやすいところからのスタートですものね。

他の地域のイベントも各主催者さんが同じような気持ちで動いているのでしょうね。

「全国のなんて大きいことは言わない。まず、うちの地域の子どもたちを守りたい。その為に何が必要なのかを知って欲しい」

 というのは素朴な活動理由となりますから。

 

 虐待問題って政治問題なんですよね。ネックとなっているのが民法という法律なので。だから何故困っているのか分かる人が多くないと「困ってる」の原因を変えることすらできないんです。

 そこをいじらないで対策をしているから費用ばかりかかって効果があげられない。今さんが、この状態について

「消防士を増やしたって火事は減らない」

 ととても上手いたとえをしていまして。今の状態って火事が起きた時の対策ばかりして、防火対策をまったくやっていない状態に等しいのですね。

 消防署が見たら呆れるようなことをしてるの。消防署は、ちゃんと防火設備点検や防火啓蒙イベントをしているし、大きな災害があった時は同じことが起きないように必要とあれば法を変えているでしょ。

 児童虐待については、それまったく出来ていないんですね。何故なら、民法を変えることに抵抗感を示す人がいるから。

 親権の乱用されないようにすることを防げていないから。

 親権というのは、子どもの健全な育成の為に親に与えられた権利なのだけど、それを子供を支配する為に利用したい人達がいるわけですよ。政治家にも国民にも。

 でも、みんなそういう人達がいることを見ないふりをしてきたの。「親は子供を必ず愛すもの」という神話にしがみついたの。(これが神話でないのなら、動物にも子殺しや育児放棄は発生しないよねえ。動物園で親に育児放棄された子供を飼育員さんが育てているというニュースは珍しくないものねえ)

 見ないふりをして、原因となっている法を変えないで、税金ばかりを浪費して、現場の職員を疲弊させ続けてきたんですね。

 そりゃ虐待サバイバーの側から情報発信するようになるし、何をすればいいのか知った市民や地方議員達が動きますよね。

 群馬県太田市では、虐待防止イベントに参加して何をすればいいのかを知った市長が、すぐさま動いて短期民間擁護者制度を作ったそうだし。

 民法を変えるには時間がかかるし(今さんが、「最低10年はかかるでしょう」と言ってましたね。無戸籍児童発生の要因となっている法を変える運動も10年以上続いてるけど、まだ変えられない状態だからその言葉は正しいでしょうね)、法が変わるのを待っていたら、子供が何人死ぬか分からないし、民法がすぐには変えられないなら条例で、と地方議員は動いてますね。

 なにせ今の日本の虐待発生数は、毎日一人の子供が親に殺される計算になりますから法が変わるのを待ってはいられないですね。

 今回の平塚も市会議員が来ていましたね。法が原因で子供が救えないのなら、それを変える為には政治家の力も必要ですからね。

 そういえば、途中からの遅れての参加だけど河野太郎さんも来られてましたね。パネリストの虐待サバイバーの方がダメもとでイベントがあることをDMしたみたいですね。

まあ、地元だし、こども庁設立の要望を出していたのは自民党の若手有志グループだし、河野さんが関心を持ってもおかしくがないかな。

自民党の若手有志グループについては今さんも

「あの人達はよく勉強しています」

 と、おっしゃってましてね。あのグループ、勉強会の時は当事者を招いて話を聞くというのをよくやるので、虐待サバイバーも何度か招いて、その時に聞いた話を政策に反映させているんですね。今さんが

「野党もどんどん当事者招いて勉強会をすればいいんですよ。僕も、虐待サバイバーも呼ばれたら行きますから。虐待サバイバー達は自分達がして欲しかった政策をしてくれるところなら支持しますよ」

 と、おっしゃってましたね。確かに立憲も公明も自民党の若手有志グループに比べたら勉強不足のような気がしますね。

 まあ、あのグループは、自分達がやりたい政策をやれる可能性が高いから所属を自民党に変えた人もいるので勉強熱心なのも当たり前かもしれませんが。

 そういう人達も取り込んでしまうのが自民の強みですよね。野党も本気で対抗したいなら与党以上に勉強熱心にならないといけないような気がするけれど、どれだけこういう当事者からの意見の吸い上げを行っているのでしょうね?

 

#防止策イベント

 

声なき悲鳴が聞ける為政者のいる国、いない国

「ピアノで巡る世界聖地巡礼の旅」という舞台を観た後に、オンラインで「児童養護施設長殺害事件ー児童福祉制度の狭間に落ちた『子ども』たちの悲鳴」読書会に参加するという結構濃い一日を過ごしまして。

 

 これ順番が逆だったら、夜気持ちよく眠れたのじゃないかと思ったけれど、先に綺麗なものを見て、綺麗なものと綺麗な音でパワーを充電していたから、救いのない重い話についての読書会でも色々な意見をわりに冷静に聞けたのかなと思ったりして。

 

 それにしても「ピアノで巡る世界聖地巡礼の旅」日本の章だと仁徳天皇の有名なエピソードが出てくるんですよねえ。

 仁徳天皇が夕方宮殿から家々を眺めると、どの家からも煙が上がっていない。

「夕方なのに民は夕食の支度が出来ないくらい貧しいのか」

 と考えた仁徳天皇は、三年間民が税を納めるのを止めさせた。三年後、家々からは煙が立ち上るのを見た仁徳天皇

「まだ貧しい民がいる筈」

 と、更に三年間税の徴収を止めたので、宮殿は修理も出来ずボロボロ。それでも天皇

「民は宝だ。民が豊かになることで私は満足だ」

 と宮中が貧しくなったことを責める妃にそう答えたというあの話です。この話、ボロボロになった宮殿は

「税も労役も免除になったので、我々は豊かになり道端の落し物をさらっていく者もいなくなりました。税が納られないので宮殿は朽ち、国庫は空になってしまいました。

家にも蓄えが出来るほど、我々は豊かになりました。どうぞ税をお納めください」

 と、民の方からの申し出で徴税が再開された後、命令されてもいないのに各地から集まった民が宮殿修理を始めたので、あっという間に宮殿は立派な姿を取り戻した、と落ちがついていますね。

 為政者として

「民の窮状をなんとかせな、あかん」

 と思った人の姿を舞台で観た後、この国の子どもを取り巻く環境の貧しさを思い知らされるとなんだかな、という気分になりますね。

 

 仁徳天皇のエピソードって、上に立つ者がどれだけちゃんとした目を持っているのか。明きめくらになっていないかを戒めるエピソードでもありますね。

 夕方、家から煙が立っていない。→何故?と考えることが出来た。凡庸な為政者なら、家の中で悲鳴すらあげることが出来ずうずくまる人々が潜んでいることも気づかず

「静かないい夕方だなあ」

 と言ってしまいそうですものね。今はそれが高見から見下ろす人の目にもハッキリと見えるようになった、ということなのでしょうけど、こういうのって安全な高い場所にいる人達が気づくのは、大抵すでにかなりヤバイことになってからなんですよね。

 二階にいる人達が気づいた時には、既に一階は火事ボウボウというのは防災映像ではよくある光景だし。

 それを考えると2000年代からの自己責任論ブームは罪作りですよねえ。あれ発信している人達が自覚しているかどうかは分からないけど

「『助けて』と言うな!」「困っているなら自分で何とかしろ!」

 とサインを出しているんですよね。

 援助希求能力が乏しいというのは精神病理に分類されるけど、そういう人が増える方向へ増える方向へと流れを作ってる。

 自己責任論ブームって新自由主義からの流れだろうけど、あれ文脈的にはプロテスタントの考えですよね。

 同じキリスト教系でもカトリックは、ちょっと違うんですよね。フランスが「甘やかし過ぎ!」と言われるくらい高福祉国家なのは、やっぱり経済政策が文化に影響されているんでしょうね。

 今はイスラム教徒も多いけど、あそこは元々カトリックの国だし、イスラム教徒だった一夫多妻制が未亡人救済策から生まれたことで分かるように「弱いものを守ってやらないのは恥」という考え方がありますしねえ。

 日本て、元々攻撃が内に入る傾向があって。昔、民話関係の本を読んでいたら

「欧米の残酷は外にいく。日本の残酷は内にいく。恋をした美しい侍女が自分の意のままにならなかった。外国ならレイプして終わりだろう。

日本の場合は、この民話のように

『自分のせいではない。その者が自分で選んだことだ』

と言える形で残酷さを見せる。

自分になびかない侍女に池の真ん中に浮かんだ花を採りに行くように命じる。何度も何度も泳いで採りに行かせる。やがて侍女が力尽きて溺れるまで。そしてうそぶく。

『嫌ならやめることも出来たのに』

 侍女が溺れたのは採りにいくことをやめなかった侍女のせい。命令に逆らわなかった侍女のせい。採りにいけと命じた長者のせいではない」

 というようなことが書いてありまして。元々文化的に内にこもる傾向、人を攻撃するより自分を攻撃する傾向がある国で、更に自分を責める方向に誘導する流れがあったら、そりゃ問題の発覚が遅れますよねえ。

 そう簡単に解決出来ないほど、問題がヤバく大きくなってから「これは放置できない問題だ」という認識が出来上がるのはなかなかきつい。

 会社なら「自分でどうにか出来ない奴は切れ!」ということもあるのでしょうが、社会はそれ出来ませんしねえ。

 70年前のドイツでそれをやってえらいことになりましたからねえ。ユダヤ人より前に「生産性がない」と国のえらい人達に判断された方々が社会から切られましたしねえ。

 だから、こういう厄介な問題は、大きくややこしくなり過ぎないうちに対処しておくことが大事なのだろうけど、面倒なこと全部現場に任せて頬かむりしているうちに見たくない人でも見えるくらい大きくなってしまいましたね。

ほんと、問題がややこしくなる前に気づいて対処することが出来た仁徳天皇は優れた為政者でしたね。

財務省とスペックを見ずに低価格PCを選ぶ高齢者は同じ。

前田利家といえば加賀百万石の祖。その妻まつ夫人といえば賢夫人で有名で、どのくらい賢夫人かというと、前田利家が末森城を攻められて苦境に陥った時にポンと袋を渡して

「この銭に槍を持たせて戦わせてはいかがです」

 との一言で、思わず刀を抜こうとするほど夫を激怒させるくらいの賢夫人だったのですね。

 これねえ、何故利家が刀を抜こうとするくらい激怒したかというと一番痛いところを突かれたからなんですね。

 前田利家は、ケチというか倹約家というか蓄財が大好きな人で、まつ夫人の

「今は金を貯めるよりも兵を養う時。戦に備えて、その金で兵を育てなさい」

 という進言を無視していたんですね。

 これから平穏な時代に向かうなら利家の方に分があったのかもしれませんが秀吉と家康が覇権争いしている「小牧長久手の合戦」が起こったばかりの頃ですからねえ。

 秀吉と敵対している佐々成政に末森城を攻められ家臣が苦境に陥っていると聞いたまつ夫人が

「だから言ったのに!」

 と思っても無理はない。

「言ったよね?私言ったよね?そのお金で兵を養いなさいって何度も言ったよね?大事なことを無視して金を惜しむから今こういうことになるのよ。兵なんて急に整えられるものじゃないから日頃の準備が大事なの。

違うというなら、あなたが私の言うことを無視して貯めてきた金に槍を持たせて兵士の代わりに戦わせないよ」

 と、痛烈な皮肉を浴びせたくなりますよね。痛いところを妻に突かれて激怒した前田利家さんは、さすがに反省して末森城で勝利をおさめた後は、まつ夫人の進言を無視することはなかったようですが、21世紀の日本でまつ夫人の皮肉が必要になるとは思わなかったな。

財務省の財政分化科が出したレポート、一般常識のある人達からツッコミ入れられまくってますね。

togetter.com

 

財務省が戦闘機の小型化が一般的とか言い出した…

 

財務省が次期戦闘機の開発計画にケチを付けるために出鱈目を主張し始めたと聞いて(実際にはステルス機は兵装と燃料を全て内装する必要から従来機よりも大型化する傾向にある) 

 

財務省、頭はいいんだろうがやってる事が「一番安いやつでいい」つってセレロンメモリ4Gのノーパソ買ってくるうちの義父と同じなのが腹立つ

 

あまりに内容が酷すぎて、ツッコミを入れられまくっている資料はこれですね。

www.mof.go.jp

これ一般人でも分かるくらい事実をあってないようなんですね。

 

戦闘機を体積で比較した資料なんて俺初めて見たよ。 戦闘機を語る上でほぼ必要のない数字だものな。

詐欺師……じゃなかった、 財務省でもないとこんな数字早々つかわんだろ。

 

しかも参考資料で空虚/最大離陸重量を一応出した上で、機体規模を箱型容積としてるのが悪質

 

この表の最大離陸重量でプロットすると、より新しくより小型なはずのF-35が、古いF-22よりも重くて「新しい機体は小型」っていう財務省の論旨と矛盾しますからな。

そういう都合の悪いとこを無視するには、体積で比較するのが一番と。

 

財務省は結論を先に据えて理屈を後から無理矢理に捻り出してるので、無茶苦茶なことを自覚した上で資料を作成してるわけで、よく分かってない議員さえ騙せればいいというアレです。

 

財務省、ほんと頭いいんだってわかるよ。 予算を減らすために大型機作って欲しくないんだろうな。 だから小型機が正しいって理屈を出すために、 体積で比較するなんて都合のいい新しい基準を作り、 重量については記載はしても華麗にスルー。 後継機とかでなく開発した順番だけで並べた。

 

財務省は馬鹿じゃないし無能でもないのはほんとよく分かったよ。

予算削減のためなら資料を曲解し、都合のいい基準をつくり、

標準的な評価を無視し、求められた理由など都合の悪い話は無視するわけだ。

ほんと頭はいいんだな財務省は。
頭はいいよほんと……
詐欺師に転職できるぜ……

それにしても財務省がスペックを見ずに価格だけでPCを購入する高齢者みたいなことをやっているということは財務省にとっての判断基準は「価値」ではなく「価格」なんですね。

そちらを選ぶと時代の潮流に合わないから、時代遅れの装備で国土防衛を行わなければいけない方へ誘導するよう資料を作成しているのだから

「この質に対して、この値段。コスパ最高!」

「予算的には厳しいけれど、これからのことを考えたら、こちらを選んだ方が生み出す価値は大きい」

 という判断が出来なくて

「こっちの方が安いから、これでいいんじゃないですか」

 という判断をする財務管理をしているだけの省に、国防や、福祉や、教育について何が大事なのか判断するだけの知識を求めるのは酷かもしれないけれど、財務省のやっていることって世間一般では「安物買いの銭失い」って言いませんか?

「失われた30年」が何故起こったのか、よく分かる姿勢ですね。

 財務省の緊縮体質について

「『未来の子ども達の為に』と言い続けたら、その『未来の子供達』がいなくなっちゃった」

 と揶揄されるけど、必要な時に必要な投資を行わなかったら、そうなりますよねえ。

教育や福祉だけでなく防衛についても「あの時、必要な投資を渋らなければ」ということになるのかしら?

 後から悔やんでも遅いから「後悔」って書くのでしょうけど、後悔するのは財務省ではなくて

「あの時、なんとしてでも財務省に抵抗すべきだった!」

 と、実際に苦労する他の省庁でしょうねえ。

「子育て罰」とこども庁

「子育て罰」を読み始めたのだけれど、冒頭の「票取り道具としての『こども庁』でいきなり読む気が失せて困ってる。

思わず著者のプロフィールを確認しちゃいましたよ。

京都大学教育学部卒業、博士、日本大学文理学部教授」「大阪市立大学 博士課程単位取得退学 博士 立命館大学産業社会学部准教授」

 このプロフィールで、こういう言葉がでるのかねえ。内閣府子どもの貧困対策に関する有識者会議の構成員が「虐待サバイバーの声を国会に!」でこども庁の設立を目指してきた動きを知らない筈はないと思うけど。

 だって子ども庁創設の提案、要望書を出したのは2016年で、その後も繰り返しこの件について情報を発信し続けてるのよ。

taroyamada.jp

www.youtube.com

togetter.com

 そもそも子ども庁設立の要望を出したのだって、「児童虐待案件の管轄を決めてくれ」と再三依頼したのに、どの省庁もやりたがらない。

あげくの果ては、どこが管轄なのか問い合わせをした議員に管轄を決めて欲しいと言い出す姿勢だったからですよね。

どの省庁も、自分のテリトリー範囲のことは把握しているけど、そこしか分からないから児童虐待や子どもに関数する問題について断片的にしか分からない。

総合的に情報を集め、リーダーシップをとってこの問題に当たろうという省庁はない。(まあ、どの省庁も過重労働に悩んでいるから積極的に厄介な仕事を増やしたくないのだろうけど)

内閣府文科省総務省厚労省法務省警察庁が個々にそれぞれの担当の情報を抱えているだけ。そもそも連携できる仕組みがないから情報共有できる筈がない。

この状態を解消し、子どもに関する社会問題を総合的に解決することを目的に創設を要望して提案したのが、そもそもの始まりでしたよね?

「こども庁」構想を菅政権が打ち出した時「突然浮上した」と枕詞をつけて批判記事を書くジャーナリストが多くて。

ああ、この人は子供に関することは興味ないんだな。日頃書いているのが、金融、経済政策、社会記事だから、そりゃ児童虐待になんて興味はないし、どうしたら子供達の命を救えるから模索してきた人達の動きについては関心は薄いよなあ、と思ったけれど教育学者の認識でもこの程度か。

教育費問題や教育財政など、教育とお金が研究テーマの人のようだから、それ以外の子供に関する問題には関心が薄いのかなあと思ったけれど、パラパラとめくったら一応「こども庁」設立のきっかけとなった「子ども行政のあり方」勉強会にもちゃんと取材しているのね。

Children First勉強会第二次提議に示された「こども庁案」を引用しているから、自民党有志議員「Children First こども庁構想」については、ちゃんと評価して動きを注目しているのね。これでこの本を読む気力がわいてきたわ。

それにしても「子育て罰」をパラパラめくったら、こども庁設置構想を受けて、公明党菅首相い提言したのが「子ども家庭庁」であることにわらった。

公明党以外も各党の「こども庁」に対する反応とその党の子どもに対する政策が載っているけれど、それぞれの党の考え方が出ていますね。

何故「子ども家庭庁」という名前にわらったかというと「Children First 子ども行政のあり方勉強会」は第六回めの勉強会の時に虐待サバイバーの人を招いているのね。

taroyamada.jp

その方が、その当時の名称だった「子ども家庭庁」に厳しい提言をしているんですよね。これは固定観念からの言葉だと。

「家庭という言葉で傷つく子ども達もいる。虐待を受けている子どもにとっての家庭は、毎日生きることに必死な戦場を指す言葉」

「家庭はあたたかい場所であり、そうでなければいけないという固定観念と現状のギャップに苦しむ人もいる」

 この提言を受けた後、名称を変えることを決めて、当事者である子どもたちも読むことができるように、すべてひらがなで「こども庁」に表記変えたんですよね。

 言葉一つにも、それぞれの考え方が現れますね。

 

埼玉県民の日は11月14日

このお知らせを見て、埼玉県民の日が11月14日であることを初めて知りました。

横浜市民の日が夏が近づく、6月なのに(神奈川県民の日ってあったっけ?と思って確認したらやっぱりなかったわ。まあ、横浜市民の日であれだけ盛大に騒いでいればあえて神奈川県民の日を作ろうという気はないよね。)、埼玉県民の日が11月なのは、やっぱり「収穫祭は秋なんだから県民の日も秋だろ!」といい圧を感じますね。

www.post.japanpost.jp

これ、発売が埼玉限定なのに、切手セットの販売記念の贈呈式を行うのが関内のルノワールなのがなんとなくおかしい。

まあ、魔夜先生は横浜在住者だから、贈りものを届けに行く為に相手の住むところまで出向くのはなんの不思議もないんですけどね。

これ、埼玉県民以外でも欲しがる人多そうだけど、倍率高そうね。「翔んで埼玉」を埼玉で観たら、応援上映でもないのに応援上映のようだったという話がありますものね。

togetter.com

埼玉県民の埼玉愛であっという間に完売しそうね。

多様性と全体主義

とあるところで多様性の厄介さや、多様性の持っている闇とそれを見ないでいることの怖さなんてことを聞く機会がありまして。

多様性を認めないで一つの方向を向いていた方が楽だけれど、では何故それでも多様性を求めるのか。多様性の持つ面倒さとその面倒さから逃れる為に全体主義を求める心、なんてことを考えていたりしたのだけれど、そういう時に旭川の事件について特集した番組への感想が流れてきまして。

多様性というのは面倒だし、厄介だし色々闇も含んだものだけど、だからといって多数派の利益を優先する為に少数派の不利益を無視していいのではないことは、この件での学校側の発言で証明されてしまいましたね。

www.nhk.jp

過去、いじめ事件で関係者のトンでも発言が出てくることはあったけれど、さすがにこの言葉には唖然とする人が多かったですよね。

この件、学校側の言い分について、こうツイートされた方がおりまして

この方が生出演されて大変な反響があったという番組の記事はこちらですね。

times.abema.tv

これ出演するのに勇気がいっただろうなということと、それでも出演することを決めるほど長年苦しかったんだろうなあ、と思うと息が苦しくなりますね。

旭川の中学校や教育委員会が少女へのいじめが「ある」のに「ない」としたがったように男性の性被害も長年「ある」のに「ない」とされてきたことの一つで。

これは日本だけでなく世界でも同様の傾向で。

カソリックの聖職者達の少年への性的虐待が長年発覚しなかった理由の一つでもあるわけで。

gendai.ismedia.jp

そうした声をあげられない人達の声なき悲鳴を否定するのが教育という職業についている人達だと思うと溜息をつくしかないのだけれど。

そのうえ、これ氷山の一角じゃないかという疑問が出ているんですよね。

これ個人の感想だから、「過去に聞いた噂も本当だった」かは、分からないけれど、この方がこう思ってしまった原因が学校側の言葉だと思うと、長年同じ対応をし続けてきて、今回はそれが地域社会のルールや常識が通用しない外の世界に流れただけじゃないかという気がするんですよね。

狭い社会の他の社会では非常識であるというのは、ままあることで。

今回は、それが倫理観とか教育者としての職業責任とか世の中の人が大事だと思うことに対しての非常識だから、この件を見る人の目が厳しくなるのは仕方ないでしょうね。

しかしまあ、旭川ほどの規模を持つ地方都市でも地方社会の閉鎖性から逃れられなかったのか。

高知東生さんが以前、この件についてこういうツイートをされていて。

それは本当にその通りなので。この難しい課題がクリアされない限り、安全な場所を求めて死へ逃げる子供達の足を止めることは出来ない。

その事実を考えたうえで、どうしたら苦しむ子供達を救えるのか方法を模索するしかないのでしょうね。