火曜日の思索メモ

思ったこと、考えたことの記録です。

国立感染研究所が「新型コロナウィルス検査を妨害」という報道によるデマについて反論

国立感染症研究所が「新型コロナウイルス感染症の積極的疫学調査に関する報道の事実誤認について」という声明文を出したことについてツイッターのまとめが出来ておりますね。

あら、まあ、この忙しい時にお気の毒に。(;_;)予算も人員も削減され続けてきた中頑張っているのに、ワイドショーで「PCR検査の拡大を感染研OBが妨害」なんて事実無根な陰謀論を流されたらキレますよねえ。( ̄O ̄;)

togetter.com

 

togetter.com

昔だったら報道が事実と違うことを報道してもすぐには反論できなかったでしょうけど、ネット時代だと事実と異なる報道をされたらすぐに反論できますね。

 

国立感染症研究所が即座に反論したことはこう評価されていますね。

  修羅場の中でよくこれだけ平易で丁寧な説明をまとめたなと思う。こういう発信大事。

  どの番組で誰がデマを流してるか、名指しすればいいのに

 マスゴミの皆さーん、あなたたちの報道がゴミすぎてついに国立感染症研究所が怒りましたよー。

 感染研所長めっちゃ怒ってるな

控えめにいってキレていらっしゃる模様

TVのワイドショーや報道番組での悪質やデマに対し、、国立感染症研究所がついに反論を出した。TVやマスコミは少なくとも最低限のルールとして相手側の声をちゃんと取材してから報道しろよ。これ基本。

遂に国立感染症研究所が忙しい合間を縫って反論文を提示するに至った訳だが、検査妨害デマを拡散した立憲民主党の武田浩光道議と川内博史はどう責任取るんですかね?

これ、「報道の事実誤認」としてるけど、立憲民主党・川内議員による立憲民主党の道議から聞いたデマに基づいた国会質疑がそもそもの原因でしょ。

こういう時も仕事しないマスコミは存在価値どころか、社会悪ですらあるなぁ。とにかく報道機関を監視する機関が必要なのではないか? 報道をさせているスポンサーの信用問題に発展するよ。

スポンサー企業の広報担当もこういう部分は、しっかりと指導して欲しいところ。

とりあえず、岡田晴恵と上昌広は土下座してワイドショーから消えろ。

業務妨害名誉毀損で訴えてやればいいのに

まああんな無責任な報道されたら最前線で頑張ってる人たちはキレるわな

「デマの発信元をはっきりさせておこう」とスッキリと箇条書きで書いている人もいましたっけ。

【北海道で感染研が検査妨害】 →立憲民主党国会議員、立憲民主党道議員、日刊ゲンダイ

【感染者数を少なく見せかけようとしている】 【実態を見えなくするために、検査拡大を拒んでいる】 →岡田晴恵、上昌広、テレビ、他

 

日刊ゲンダイだけでなく、デイリー新潮もこう記事を出していましたね。

headlines.yahoo.co.jp

 

これを読むと政治家が言ったことを鵜呑みにして、ワイドショーで爆弾発言したみたいですね。


「プライベートなことは言いたくないんですけども、中枢にある政治家の方からも、
『こういう説明を受けたんだけど、これは解釈、本当にこれでいい?』
とか、よく電話がかかってくるんです。
 公的負担に関しては
『できたよ』
という風な電話があったんですけども、正直言いまして複数の先生から、クリニックから直接(註:民間に検査できる)かということについては
『ちょっと待ってくれ』
と言われている。
『だから、それはまだ分からないんだ』
と。
『じゃあ先生、待ってくれというのはどういうことなんですか』
ということをお聞きしました。
 私は穿った見方をしていました。経済の方とかご同席すると、
『オリンピックってのは巨額なんだよ』
と。
『そういうために汚染国のイメージはつけたくないんだよ』
と、そういう大きな力なのかって思っていたんです。それは抗いがたいくらいの大きな巨額な力なのかなと思っていたんです。
 先生方にぶつけました。そうしたら「はははは」と笑われて、
『そんなね、肝が据わったような、数をごまかしてまで、そんな肝が据わった官僚は、今どきはいません』
と。
『これはテリトリー争いなんだ』
と。このデータはすごく貴重なんだ。衛生研(註:地方衛生研究所)から上がってきたデータを全部、感染研(註:国立感染症研究所)が掌握すると。
 このデータを
『感染研が自分で持っていたい』
ということを言っている専門家の感染研OBがいると。
『そこら辺がネックだったんだ』
ということを仰っておられて、私がその時に思ったのは、ぜひ、そういうことは止めていただきたいと。」

でも、何故その政治家から電話がかかってきたからというと、政治家がコロナウィルスについて聞いたことへの事実確認のために岡田教授へ連絡してきたのですね。

つまりこの政治家は、コロナウィルスのことも検査についてもよく分かっていない。

よく分かっていない人が

「これはテリトリー争いなんだ。このデータはすごく貴重なんだ。衛生研(註:地方衛生研究所)から上がってきたデータを全部、感染研(註:国立感染症研究所)が掌握しデータは自分で持っていたいと言っている感染研OBがいる」

 と、言ったことを元感染研究所という肩書きを持つ大学教授がよく確認もせずワイドショーで爆弾発言しているようですね。

そりゃ、感染研怒るわ。

岡田教授もワイドショーもデマがきっかけとなった豊川信金の取付け騒動を知らないのかしらね?

togetter.com

そりゃ、感染研がパンク寸前で忙しい時に起こる騒動を危惧して反論文を出しますわ。

www.niid.go.jp

 

今般、北海道における新型コロナウイルス感染症に関する一部の報道において、国立感染症研究所(以下、本所)職員の発言趣旨に関して事実と異なる報道がございましたので、ここでご説明いたします。
1.前提:積極的疫学調査について
感染症が流行した際には、「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」第15条に基づき、「積極的疫学調査」が実施されます。

「積極的疫学調査とは、感染症などの色々な病気について、発生した集団感染の全体像や病気の特徴などを調べることで、今後の感染拡大防止対策に用いることを目的として行われる調査」です(厚生労働省ホームページより)。
積極的疫学調査は、都道府県・政令市・特別区の業務であるとともに、感染症の発生予防・まん延防止のために緊急の必要がある場合には、国が都道府県等の行う疫学調査について必要な指示を行うとともに、国自らも積極的疫学調査を行うことと定められています。また、地方公共団体等の調査体制を強化し、連携するため、都道府県等は、調査のため他の都道府県等に対して職員の派遣等の協力を求めることができることとなっています。

今般の新型コロナウイルス感染症においても、感染の急速な拡大を防止するために、本所をはじめ、公的な機関の職員らが連携して、全国各地で実施されています。

2.国立感染症研究所の職員による積極的疫学調査について
今般の新型コロナウイルス感染症への対応のため、新型コロナウイルス感染症厚生労働省対策本部クラスタ―対策班の指示により、国立感染症研究所等の職員7名が北海道に派遣され、積極的疫学調査に従事しています。今回の積極的疫学調査では、感染の拡がりを、集団感染単位(クラスター)ごとに封じ込め、地域や国全体の感染の抑制、収束に至らせることを目的として活動しています。具体的な活動は、以下の通りです。

PCR検査によって感染が確定した人の接触者に何らかの症状が出た場合に、PCR検査によって感染の有無を確定すること
感染があることが確定すれば、次の感染伝播を防ぐために、その人の接触者に対して、行動の制限を依頼すること
3.

 

一部報道による事実誤認について
一部の報道では、北海道に派遣された職員がPCR検査について「入院を要する肺炎患者に限定すべき」と発言し、「検査をさせないようにしている」との疑念が指摘されています。

しかし、積極的疫学調査では、医療機関において感染の疑いがある患者さんへのPCR検査の実施の必要性について言及することは一切ありません。

 

本所において、職員に対して聞き取り調査を行ったところ、

感染者の範囲を調査により特定し、対応を行っていく積極的疫学調査のあり方についてアドバイスを行った
検査に関する議論の中で、「軽症の方(あるいは無症状)を対象とした検査については、積極的疫学調査の観点からは、「PCR検査確定者の接触者であれば、軽症でも何らかの症状があれば(場合によっては無症状の方であっても)、PCR検査を行うことは必要である」と述べた
「一方、接触歴が無ければ、PCR検査の優先順位は下がる」と述べた
とのことでした。
職員が述べた考え方は、感染伝播の状況を把握することを目的とした、積極的疫学調査における一般的な考え方です。しかし、この考え方は、体調を崩して医療機関を受診する患者さんに対するPCR検査についての考え方ではありません。現在の政府の方針、すなわち、「医師が総合的に新型コロナウイルス感染症の疑いありとした患者に関しては検査が可能である」という考え方を否定する趣旨はなく、また、医療機関を受診する患者さんへのPCR検査の実施可否について、積極的疫学調査を担っている本所の職員には、一切、権限はございません。

よって、本所職員の発言の趣旨が誤った文脈に理解され、事実誤認が広がった可能性があるものと考えます。

4.積極的疫学調査にご協力いただいている皆様へ
感染者や接触者の皆様におかれましては、大変な状況のなかで、積極的疫学調査の趣旨をご理解いただき、ご協力くださっていることに心から感謝申し上げます。皆様の多大なご協力によって、新型コロナウイルス感染症への理解が進んできております。どうぞ今後ともご協力をよろしくお願い申し上げます。また、気になる症状がございましたら、管轄の保健所や帰国者・接触者相談センターにご相談ください。

5.報道に携わる皆様へのお願い
最近の各種報道では、上記の件以外でも、本所が「検査件数を抑えることで感染者数を少なく見せかけようとしている」、「実態を見えなくするために、検査拡大を拒んでいる」といった趣旨の、事実と異なる内容の記事が散見されます。

こうした報道は、緊急事態において、昼夜を問わず粉骨砕身で対応にあたっている本所の職員や関係者を不当に取り扱うのみならず、本所の役割について国民に誤解を与え、迅速な対応が求められる新型コロナウイルス感染症対策への悪影響を及ぼしています。

報道に携わる皆様におかれましては、「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」とその運用、ならびに本所の役割をよくご理解いただき、新型コロナウイルス感染症の急速な感染拡大の防止にご協力くださるよう、お願いいたします。

以上
 

 

 

自粛要請が出た後の横浜

待ちあわせして出かけたのは、こちらで原画が展示されるというからでしてね。

f:id:oiseauxberceuse:20200302081224j:image

原画が映らないなら撮影いいですよ、ということなので写真を撮らせていただきました。やっぱり萩岩さんの鳥と動物は可愛い。

もっとも、いつもの週末なら人の邪魔になるからOKが出ても写真を撮れなかっただろうな。(それ以前に迷惑だから店員さんにお願いできないし)

 

週末の赤レンガ倉庫がこんなに人が少ないのは初めてです。さすがに1階の飲食フロアは混んでいたけど2階の物販エリアは店員さんが丁寧に接客しても問題ないくらいの人出。

芝生の上を子供が走り回っていたけど、のんびり過ごしたい人には嬉しいかも。(物販エリアで関西弁の方とすれ違ったけど観光するなら今の横浜は狙い目だと思うから、ある意味当たりでしたね)

 

休日のシーバスがあんなにガラガラなのを初めてみました。あれでは燃料代を叩き出すのも厳しいだろうな。

f:id:oiseauxberceuse:20200302081305j:image

 

ジョギングしている人は多いし、釣り人は一杯だし、観光客がいない赤レンガ地区ってこういう感じなんだなあ、という感じですが

寂しいというより、のんびりという感じなので(その程度に人はいる)、これはこれでなかなか貴重かもしれない。

 

象の鼻パークのカフェもお休みで、あ、ここ横浜市の運営だったけ、と今更思い出しました。(山下公園のローソンはちゃんと空いてました)

 

観光客なのか、街歩きの人なのかスマホでなく、ちゃんとしたカメラを持った人とも多くすれ違ったけど、カメラが趣味の人は人が映らないよう気を遣いながら撮影しなくてすむので有難いかも。

少しタイミングを待てば、通行人が写らずに撮りたい風景が撮影できるし。

 

だって週末の山下公園で探さずにベンチに座れる機会なんて、滅多にないですもの。早朝か?と思うくらいベンチが空いてました。

まあ観光客でないなら山下公園でわざわざベンチに座ろうとは思わないよね。

 

そして、そんな山下公園でも大道芸のお兄さんは頑張ってお仕事してました。人が少なくて大変でしょうが頑張って稼いで欲しい。

f:id:oiseauxberceuse:20200302081421j:image

 

それにしても今日の山下公園はジョギングだけでなく撮影したい人、ヨガをしたい人、デートをしたい人には嬉しい状態でしょうね。

親子連れは芝生で草サッカーをしています。今日の山下公園なら心置きなくボールで遊べるものなあ。(しかし、お嬢ちゃんスカートでサッカーして気にならないのか?まあ遊びだからいいのかな)

 

三色スミレもヒヤシンスもいい具合に咲いていました。

f:id:oiseauxberceuse:20200302081447j:image
f:id:oiseauxberceuse:20200302081452j:image
f:id:oiseauxberceuse:20200302081455j:image

 

ベンチに座って話している時、ふと花の香りに気づくというのはいいものですね。

中村先生インタビュー

http://www.rockinon.co.jp/sight/nakamura-tetsu/

 

中村先生のインタビュー記事を「SIGHT」が公開してますね。渋谷陽一さん、「SIGHT」だけでなくロッキング・オンでもインタビューしていたな。

あの人、こういう生き様がROCKな人大好きだったのでしょうね。経済雑誌で中村先生のインタビュー記事を見かけたことがないのとは対照的ね。(´-ω-`)

 

「インタビューは雑誌「SIGHT」(休刊、ロッキング・オン)に2002年から16年にかけ、計9回掲載された。非政府組織(NGO)「ペシャワール会」の現地代表を務めた中村さんは、ときに銃砲撃を受ける危険の中でも撤収しない理由を、正義や国際貢献といった抽象的な言葉ではなく

『(アフガンが)緑豊かな国になっていくのを見るのは非常にうれしい。この喜びのために自分は生まれてきた』

と実体験に引きつけて語る。反対に米国が主導した軍事介入は

『現状認識がなく、ゲーム感覚で決められてしまった』

と批判的だ。人道支援の現状についても、何より食料の自給を願うアフガン人の思いを大半の組織がすくい取らず

『患者を放っておいて、医者が離れたところで治療について会議している』

ようなものだと指摘している。

インタビューに聞き手として関わった音楽評論家の渋谷陽一氏は、特設サイト公開の理由を

『実践に裏付けられた中村さんの言葉は具体的かつ論理的で、他人を引きつけるパワーも持っている。それをできるだけ多くの人に伝えたい』

と述べる」

中村先生をしのぶ会

福岡までは、さすがに行けなかったけれど東京でも開かれることになったので、練馬まで中村先生をしのぶ会に行ってきました。

早めに行ったから大丈夫だったけど、やっぱり会場に入りきれない人がでたみたいですね。

 

土木技術者女性の会とかJICAの職員の方とか、中村先生ゆかりの方がそれぞれ思い出を語られて、聞きながら

中村先生って人に、己への誇りを持つことを与え続けた方だったんだな、と思いました。

それぞれの話がとても深かったのだけど、加藤登紀子さんが唄った歌が今回の会を象徴していたような気がします。

 

「哲さんがずっと闘っていたものは旱魃だけじゃなくて、『ここには何の文明もないじゃないか』と外からやって来る傍若無人な力とも闘っていた気がします」

 

「この歌は谷川 俊太郎さんが作詞して、武満 徹さんが作曲してあまりに大事な歌すぎて、私はあまり唄わなかったのだけど

  この歌を哲さんに捧げたいと思います。」

 

そう言った後に加藤登紀子さんが唄ったのは「死んだ男の残したものは」でした。

 

死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

 

死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった

 

死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった

 

死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

 

死んだかれらの残したものは
生きてる私生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない

 

死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来る明日
他には何も残っていない
他には何も残っていない

 

今から3年前、中村先生70歳の時にPMS20年継続計画を指示されて、計画、立案、工事の部分までペシャワール会が担っている今の体制から、工事の部分を事業化させて寄附に頼らない体制を作ることで自立させる予定だったそうです。

 

20年経ったら(今から数えると17年後ですね)、日本側が役割を終えてアフガニスタン側が自立し、日本からの支援が無くてもアフガニスタン側だけでやっていけるように計画をしていた、とか。

 

70歳の時の計画で、20年計画だから無事計画が完了していたら計画完了時には中村先生は90歳。おそらく途中で自分がいなくなっても困らないように、そういう計画を立てられたのでしょうが、まさかこんなに早くいなくなるとは思わなかったと思わなかった、と新会長の村上さんが語っておられました。

 

中村先生は亡くなったけれど、中村先生が残した膨大な文章とインタビュー映像は残っている。残された人々は、、これからも「チーム中村」として中村先生の考えを元に活動を引き継ぐことを決定したそうです。

 

途切れることなく事業を継続できるように基金を作ることも計画しているとか。これも中村先生からの指示で、募金はどうしても波がありますから、何があっても計画を続けられるよう、アフガニスタンに緑の大地が復活出来るようにする為だそうです。  

 

中村先生をしのぶ会の最後の登壇者は中村先生と共著を出したことのある作家の澤地久枝さんだったのですが、「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」という書籍を岩波書店から出された時、ゲラ校正の時点で30ページほど中村先生はご自身についての部分を削られたそうです。

 

「個人的なことを語るのを好まない方でしたが、あの本にはそれでも残された言葉があるのです。ご自身の結婚について聞かれた時に『恋愛結婚と言ってもそれは否定できない』とそう語っているのですね。

 先生が亡くなった後報道された家族のお姿だけを見た人は、けなげな遺族とだけ思うかもしれないけれど、奥様はそういう人ではないんです。私、先生に言ったことがあるんです。

『先生は立派だけど、先生の奥様はもっと肝っ玉の大きい立派な人よ』

 すると先生は

『家内は私なんかより遥かに肝っ玉の大きい人です』

 そう応えられました。

 伊藤青年が亡くなった後、先生は他の人達を日本に帰し、ただ一人の日本人としてアフガニスタンで過ごしました。先生がそういうことが出来たのも先生を支える家族の存在があったからだと思うんです。

 新婚旅行とは先生は書かれなかったけど、結婚された後奥様と一緒にアフガニスタンの山間部を訪れた。そこで医学の恩恵が届かない人の姿を見られた。

『医者の手の届かないところに行く』ことを先生が考えられた時、おそらく奥様も同じことを考えられたと思うのです。アフガニスタンに先生が初めて渡られた時、お子さんはまだ0歳と2歳だったんです。

0歳と2歳の赤ちゃんがいる中で奥様は先生がアフガニスタンに行くことに反対しなかった。ただ広いだけのアフガニスタンの家にお子さん達と一緒に先生について行ったんです。

これは医学の恩恵が届かない人のところに行こうという先生の想いと同じものを奥様も抱えていたからだと思うのです。」

 

先生の死を告げる号外となったペシャワール会の会報に先生のお嬢さんが寄稿されておりました。

「このような事件が起こってしまったのは残念ですが、あり得ることだとずっと思っておりました。もしかしたら、これが最後になるかもしれないと思いながら毎回父を見送ったものです。自分に言い聞かせていたことですが、現実になるとやはり悲しいです」

 

「父は現地での危険な話はあまりしませんでした。辛いことや不安や恐怖もあったと思います。それを家族にもあまり話さなかったのは父の思いやりだったと思います。私は父と離れて暮らしていても、寂しいとか、ほったらかしにされていると感じたことは一度もありませんでした。それは家族を大切に思う父の気持ちを感じていたからだと思います」

 

「家ではおおらかで素朴な普通の父親でした。山登りや草木など自然が好きで、時間の許す限り庭仕事をしておりました。

  子供や孫が大勢でワイワイしているのが楽しいようで、家族が集合した時でも中心になろうとはせず、皆の楽しそうな様子を端っこで静かに微笑んでいるような人でした」

 

「お茶目な面も多々ありました。電気屋さんで店員の方に外国人と間違えられ英語で話しかけられ、調子にのった父は英語で対応したそうですが、いざ会計となったときに

『外国の方がお買いものされるときには、本人と日本人の知り合いの方の名前が必要です』

 と言われたそうです。どうしようかと思った父は、自分の名前の欄に『モハメド  アリ』、日本人の名前の欄に福元さんのお名前を書いたとか。それを家族に話し

『お父さん、なんしよっとね』

 と妹に言われ悪戯っぽく笑ったり」

 

「中村先生は人間的な側面を語るエピソードに事欠かない人だった」としのぶ会でも語られていました。きっとご家族には自分達だけしか知らない大切な思い出が多くあるのでしょうね。

  

 

中村先生襲撃

 

https://wpb.shueisha.co.jp/news/politics/2020/01/28/110589/

 

「2019年10月上旬、アフガニスタンのガニ大統領(右)から名誉市民権の授与を受ける中村氏(アフガニスタン大使館HPより)

昨年12月4日、アフガニスタン東部のナンガルハル州ジャララバードで、武装した集団に銃撃され死亡した医師の中村哲(てつ)氏(享年73)。

国際NGO「ペシャワール会」の代表として、アフガニスタンで長年にわたり医療支援や用水路整備などの灌漑(かんがい)事業を続けてきた中村氏の訃報(ふほう)は、日本はもとより、アフガニスタンでも大きく報じられ、現地の人々に大きな衝撃と悲しみをもって迎えられた。

人生をかけて、アフガニスタンのために尽くしてきた中村氏は、なぜ凶弾に倒れることになったのか?

日本政府特別顧問として、アフガニスタン武装解除を指揮するなど、長年、世界各地の紛争地で平和構築や人道支援に携わってきた、東京外国語大学教授の伊勢﨑賢治氏が事件後初めて語る、中村氏殺害の背景と今回の悲劇から本当に学ぶべきこととは。

* * *

──中村医師が亡くなられてから今日まで、この件に関するメディアの取材依頼をすべて断っていたそうですね。

 

伊勢﨑 まず、とてもショックでした。中村さんとは現地で一度お目にかかったことしかないのですが、同じ『アフガニスタンのため』に働いた人間として、中村さんと、中村さんがこれまでやってこられたことに対して、畏敬の念を抱いていました。

当然ですが、人道支援に関わる者の"殉職"はあってはなりません。その起きてはいけないことが、なぜ起きたのか? 少し落ち着いて考える必要があると思いました。

さらにショックだったのは、僕の『悪い予感』が最悪の形で現実となってしまったからです。もちろん、大前提としてアフガニスタンの治安が悪化しているのは事実ですが、それだけではない。

実は今回の殺害事件が起きる前から、中村さんへの危険が高まっていると感じていました。その矢先の出来事だったため、どうにもやり切れない気持ちでいっぱいだったのです。

 
──『悪い予感』とは、何か兆候があったのですか?

伊勢﨑 僕が驚いたのは、事件からさかのぼること約2ヵ月の10月上旬、長年の活動が認められ、中村さんが『アフガニスタン政府から名誉市民権を与えられた』というニュースを見たときでした。

中村さんの事件後、日本のテレビなど大手メディアは

『中村さんがいかにアフガニスタンのために貢献していたのか』

を伝えようと、アフガニスタンのアシュラフ・ガニ大統領から中村さんが名誉市民権を授与されたときの様子を報じてましたよね。

でも僕は、10月のニュースの時点で『中村さんが危ない、これではテロの標的になりかねない......』と思っていたんです。これは僕のアフガン人の友人も同じ意見でした。

 

アフガニスタンへの貢献を認められ、現職の大統領から表彰されることがなぜリスクにつながるのでしょう?

伊勢﨑 現地の大統領に表彰されたと聞くと、日本の人は単純に

『ああ、国中から感謝されているんだ』

と思うかもしれませんが、アフガニスタンのような紛争国では、その大統領という権力を誰が握るかで、夥(おびただ)しい血が流れてきたのです。

安倍政権が授ける国民栄誉賞を辞退するセレブへの賛否で、『政治利用』が日本でも話題になりますが、アフガニスタンのそれは生死を分ける問題です。

しかも昨年9月に投票が行なわれたものの、不正投票の問題などで、いまだに結果が明らかにならないまま混乱が続いている大統領選挙の最中なのです。中村さんがガニ政権と一体化しているイメージが国内で報道されれば、敵対する勢力にとって格好のターゲットです。

政治からの『中立性』、少なくともそれを装うことは、NGOにとって保安上の鉄則のはずです。

そのことを誰よりも理解しておられる中村さんが『なぜ?』というのが、僕の最大の驚きであり、同時に『悪い予感』の理由だったのです。

 
──すると、中村さん襲撃犯はガニ大統領と敵対する勢力ということですか?

伊勢﨑 それはわかりません。ただ、現職のガニ大統領を快く思わないすべての勢力に動機があるということです。

ガニ大統領は、いわゆる軍閥(地方を支配する武装勢力)出身ではなく、アメリカの大学で教鞭を執ったこともあるインテリで、僕のアフガニスタン時代には財務大臣で、一緒に仕事をした仲です。

ところが、彼が前回の2014年の大統領選挙に立候補する際に「後ろ盾」として副大統領に指名したのが、元軍閥の親玉で、虐殺で悪名高いラシッド・ドスタム将軍でした。ちなみにドスタムは今年の大統領選挙で、ガニから対立候補のアブドラ・アブドラ行政長官の支援に鞍替えしています。

一方、ペシャワール会が活動するジャララバード周辺は、僕が武装解除し損ねた悪質な軍閥の親玉、グルブッディーン・ヘクマティヤールがタリバンとつるんで恐怖支配した地域で、2016年にガニ大統領と和解し政界復帰して、今回の大統領選に出馬したのですが、これを恨む勢力も当然あります。

中村さんの殺害事件への関与を否定しているタリバンは、アフガン政府そのものの存在を認めておらず各地でテロを起こしていますし、イスラム国(IS)も勢力を拡大しています。

このようにアフガニスタンが複雑に入り組んだ状況にあるなかで、安易に犯人捜しはできませんが、「ガニ大統領とのツーショット」が注目を集めることは、確実に中村さんの「リスク」を高めることにつながると思ったのです。

 

伊勢﨑 僕が抱いたもうひとつの違和感は、襲撃された中村さんが武装警護をつけていたことです。それも非常に中途半端な、ほとんど実効性のない警護です。

NGOはどこまで武装できるか?

これは大変難しい問題で、世界のNGOの中でも個人差がありますが、国境なき医師団などは、徹底した「丸腰」で、それが醸し出す「中立性」を武装に代わる手段とします。

中村さんも、「丸腰のボランティア」を標榜(ひょうぼう)されていたはずなのに、なぜ今回は武装警護をつけていたのか。

しかも、その警護があまりにもお粗末で、本来は警護対象者の乗る車両を警護車両が前後で挟むのに、中村さんの車両が先頭を走っていて、その車両は防弾仕様でもなければ、中村さん自身は防弾チョッキも着けていなかった。

これでは警護対象者を守れません。結果的に、中村さんだけでなく5人の現地人も巻き添えになってしまった。

 
現地スタッフの運転するオートバイの後ろに現地衣装でちょこっと座り移動するのが一番安全だと知り尽くしていたのが中村さんのはずです。

僕自身、アフリカのシエラレネオでの国際NGO時代に、経験豊富なインド人の先輩同僚にキツく言われたのは、「活動国が政情不安になったら、外国人スタッフが退避し、事業を現地スタッフだけの遠隔操作モードに切り替えるのは、保身のためではない。

そういうときほど外国人は高価値ターゲット(High-Value Target)になり、現地スタッフと関係住民を巻き添えにする。結果、事業存続も危ぶまれる。決してヒーローになってはいけない(Don't be a Hero)」でした。

しかし、そうしているうちに、シエラレオネは1991年に内戦に突入し、国連をはじめすべての援助団体が撤退するなか、僕は最後まで現地に残り、現地スタッフの部下ふたりを殉職させてしまったというつらい思い出があるだけに複雑な気持ちです。

 

──そうした疑問の答えは見えたのでしょうか?

伊勢﨑 残念ながら、まだ明確な答えを見いだせていません。ただ、僕も中村さんと同じ年齢に近づいているので、彼が自分の亡き後の活動継続を見据えて、いろいろと思い悩まれていたことは想像できます。

長年、活動資金を寄付で賄ってきたペシャワール会も、最近はJICA(国際協力機構)の公的資金の援助を受け入れていたと聞きます。

公的資金が入っている以上、日本政府としては、中村さんを「邦人保護」しなければならなくなります。僕の時代もそうでしたが、現場の日本大使館には、そんなことできません。保護はおろか、大使館を一歩出るのにも東京の本省にギャーギャー言われるのですから。

だからアフガニスタン当局に対して、名誉市民にもなったことですし「中村さんに警護をつけるように」と要請しても不思議ではありません。ふたつの政府の事情の板挟みになり、中村さんは従来のスタイルを変えざるをえなかったのかもしれません。

いずれにせよ、中村さんの死を悼(いた)み、その遺志を引き継ぐのは大切ですが、それを「命を賭してアフガニスタンに尽くした日本人」という美談で終わらせるのではなく、なぜ殉職を防げなかったのかをしっかりと考える必要がある。後に続く人たちのために。

そうじゃないと、人道援助がまるで「特攻隊」のようなものになってしまいます。

悼みつつも、中村さんの殉職を教訓にしなければならないのです。

 
──中村さんの事件後の日本社会の反応に関しても、違和感があるそうですが。

 

伊勢﨑 中村さんの業績をたたえ、その死を惜しむ報道が多いのは当然だと思いますが、問題は『その先』です。感情論ばかりに終始して、先ほどの『人道援助の殉職を繰り返さないために何をすべきか』という大切な議論が一向に深まらない点がひとつです。

それに加えて気になるのは、「右」も「左」も中村さんの死を憲法9条に絡めて、自分たちに都合のいい文脈で利用しようとしている点です。

 

──利用するとは?

伊勢﨑 生前の中村さんは、憲法9条の下で戦後一度も銃を撃たなかった日本の国際的なイメージが、われわれの活動を支えてきたと話されていました。

僕自身、かつてはこうした日本に対する『美しい誤解』に守られて紛争国で働いていた経験がありますから、その意味はよく理解できます。

しかし、その『誤解』ですら、小泉政権時に日本がイラク自衛隊を派遣し、『アメリカと共にイスラムの土地を汚す者』となった時点で消失し、その後、インド洋に補給艦を送り、旧民主党政権になってもアフリカのジブチ自衛隊の海外基地を造る過程で、今や完全に効力を失っています。

──つまり、中村さんの事件は、彼を守ってきた「憲法9条の美しい誤解」が失われたなかで起きたことだと。

伊勢﨑 いわゆる護憲派の『左』の人たちは、今も『美しい誤解』が通用すると考えていて、『今こそ中村さんの遺志を継ぎ、憲法9条の理想を』と訴えます。

しかし、9条下でも、そして護憲派が権力の中にいた旧民主党政権下でも、イスラムの地を汚すことを止められなかったという現実から、もう逃げてはなりません。

一方、中村さんの事件を口実に『人道援助に当たる邦人の保護に自衛隊の活用を』と訴える『右』の人や、閣議決定だけでホルムズ海峡に自衛隊を派遣するのは論外です。

僕は今から12年前の2007年、対テロ国際協力とイラク人道支援に関する参考人として国会に呼ばれ、自衛隊の海外派遣によって『憲法9条の美しい誤解』が失われること、その最大の被害者が『海外で人道支援に携わる日本人』であることを証言しました。

 

ペシャワール会の現地スタッフだった伊藤和也さんが、アフガニスタンのジャハラバード近郊で拉致、殺害されたのは、その翌年の2008年のことでした。あれから11年、伊藤さんの、そして中村さんの死を無駄にしないためにも、われわれは今度こそ、この教訓を未来に生かす義務があるはずです。」

人は誰に会うのかが大事

中村先生襲撃の記事で気になることがあって、高山文彦さんの「ふたり 皇后美智子と石牟礼道子」をあさってみたのだけれど、やっぱりペシャワール会の理事の福元さんて渡辺京二

「小賢しいことを言うな。これは浪花節だ」

 と、叱責された人ですね。

渡辺京二石牟礼道子に請われて水俣病患者支援団に加わったという話も驚きだったけど(どうでもいいことだけど渡辺京二というと「逝きし世の面影」ばかりを取り上げられるのは何故なのかしら?他も傑作揃いだから皆さん読んでね!渡辺京二は「日本スゲー」の人に受けるものばかり書いている人じゃないですからね!)、「義理と人情」「義によって助太刀をいたす」を掲げて水俣病患者を支援した渡辺京二に、そんなことできるわけない、と口にして叱責された学生が同じように「義理と人情」でアフガニスタン人をし続けた中村先生をサポートし続けたという事実に人生の若い頃に誰に出会ったのかって大きな違いが出るのだな、としみじみ。

 

渡辺京二って近世の人なので、近代の思想である左翼思想にはまったく興味がないのですよね。人間は不平等なものであると思っているし、それを正さなければいけないとも思っていない。

 

だから左翼的な思想で「水俣病患者を救わなければ!」と言われてもまったく興味がなかったのだろうけど、近世の人なので近世の論理には凄く忠実なのですよね。

「共同体の同胞が苦難にあった時は義によって助太刀せねばならぬ」

 困っている人に助けを求められたら、その助けに応じなければいけない。それが近世の倫理で、渡辺京二は近世の人なので、その倫理に忠実でなければならない。

 

渡辺京二は頭がいい人なので自分のしていることがどういうことであるか分かっている。

「これは浪花節だ」これは浪花節だよ、浪花節でしかないんだよ。

 

漁民が国と国策企業を相手にして勝てる筈がない。でも、やる。そこに困っている人がいるからだ。だから「これは浪花節だ」なんですよね。勝てる自信なんてない。おそらく勝てないかもしれないと分かってる。でも、やる。

闘うことを諦めても、「困っている人」はそこにいて、ずっと苦しみ続けているからだ。それについて、どう思うのか?というのは個人の倫理でしかないのですよね。

仕方ないことだと容認するか。それは嫌だと、困っている人を助ける為に闘うか。

 

世の中には綺羅星のような人がいて、石牟礼道子渡辺京二も中村先生もおそらく後世に名を残すような人だけど、たとえ自身は名を残さなくても綺羅星のような人々の考えに賛同し、その活動を支援することで素晴らしことをする名もなき人々というのもいるんじゃないですかねえ。

 

「いいことをした報酬は、自分がその素晴らしいことをやり遂げたということだけだ」

この言葉の意味が歳を重ねるにつれ分かるようになりました。

 

 

 

出生率過去最低と氷河期世代

この頃ニュースで氷河期世代の救済策に予算を割くという話題を流しているけど、先日流れていた出生率過去最低というニュースと合わせて考えると大変味わい深い。

 

就職氷河期世代で、第二次ベビーブーマー世代とほぼ被っていて、出生率改善の最後のチャンスがこの世代って言われてましたよね。

V時回復を目指すなら、この世代の時に手を打っておかなければいけなかった、と。

 

政策ミスって、後からボディブローのようにだんだん効いてくるところが怖いなあ。

 

20年前政策ミスをしなかったら、現状は変わっていたのかしら?

 

産まない理由をあれこれ詮索している間に、産めない理由に思い至らなかったのかしら?そういえば昔、噂話で

「夫婦二人とも子供が欲しかったけれど、夫側の収入が不安定だったので、『妻が産休に入ってしまうと生活がどうなるか心配だよね』という理由で子供を持つのを我慢していたカップルが、夫が無事転職して収入が安定し『これでようやく安心して子供がもてるね』と喜んだのだけど、今度はなかなか子供ができなくて不妊治療をして頑張っている」

 という話を聞いたなあ。(「世の中なかなかまなならないよね」と話してくれた子は同情的だったなあ)

 

2000年代には、既に「将来の消費者潰してどうするんだ?」という意見があったと思うけど、政策ミスのリカバリーって対処するのに時間がかかりますねえ。

 

現状を正しく見ていた人の危惧を無視して、メリットしか見てない人の言葉に動かされるって太平洋戦争開戦時でもありましたね。

 

歴史は繰り返される。いいところにも悪いところにも、その国の特徴がでますね。