火曜日の思索メモ

思ったこと、考えたことの記録です。

日テレ、「セクシー田中さん」と同じチーフプロデューサーのドラマの制作中止を発表。(こちらも原作は小学館のマンガ)

「たーたん」制作中止が発表されましたね。「たーたん」が「セクシー田中さん」と同じ人がチーフプロデューサーを務める製作チームで製作中だという話が漏れた時

「だから日テレも小学館もだんまりを貫いて、この話をなかったことにしたいのね」

 と、納得されてましたものね。小学館の第一コミック編集局がコメントを出した時も「ホッとした」という言葉はあっても、コメント内容については厳しい意見が多かったですよね。

「何故、ここで出てくる言葉が『寂しい』なの?守れなかったことを悔いているなら、出てくる言葉は守れなかった自分に対する怒りじゃない?」

 という疑問はコメント発表してすぐに出てましたものね。ビジネス文書を書き慣れている人達は、あのコメントで火消しが出来ると思ったのでしょうが、読み手は発信者が編集者という言葉のプロであることを忘れていないうえ、物語を読み慣れている人達(その中には物語を作っている側の人も含む)だから、その場面とその言葉は合っているか?その言葉は、どんな感情から生まれているのか?ということを自然と考えてしまう人が多数いるのですよね。

 だから「たーたん」製作中であることが外部に漏れてから日テレと小学館が調査チームを作ったと発表しても、視線が厳しいままだったと思うのですね。

 世の中からの自分達を見る視線を日テレ側も感じていると思うから「たーたん」製作中止を決めたのでしょうが、同じチーフプロデューサー、原作が同じ小学館のマンガをのドラマを日テレも小学館も記者会見をしない状態で放映出来ると思ったのかな?

 原作を知っていると「映像化にあたって原作を改変した」と伝えられても「そりゃ、そうだろう」と思う人が大半でしょうが(それぐらい余程の力量がないと映像化するには難しい作品なので。力量がないとエセ若紫か、安っぽいヒューマンドラマになりそう)、改変した事柄の中に

「原作では売れない女優志望者が歩道橋から飛び降りようとするシーンをドラマでは『女優』ではなく『漫画家』に飛び降りるに改変した」

  があったと伝えられているのですよね。最終稿では女優に戻されているそうなので真偽は不明ですが、少なくともそういう噂が出ている。

 そして、この噂が事実でないのなら日テレは記者会見を開いてハッキリ否定しないと制作を中止しても悪印象は残り続けるでしょうね。演出やキャストの関係で原作を改変するのは仕方ないと思う人も、飛び降りようとした人を女優から漫画家に変える必然性を見出せないし、「たーたん」の脚本にそう書かれていたのが、芦名さんが亡くなる前だとしても同じチーフプロデューサーを抱えていた仕事ですから、ドラマにあたっての約束を守るよう訴え続けていた原作者への当てつけにしか思えないでしょうしね。