火曜日の思索メモ

思ったこと、考えたことの記録です。

浮世の義理は難しい

治安の悪化で外国人には基本出さない就労ビザを特別に発行されていたので、中村先生が、アフガニスタン政府からの

「ガードをつけないと現場には出さない」

 という言葉を無下にすることができず、本来一番安全だった丸腰のボランティアスタイルを貫くことが出来なかった件で写真家の星野道夫さんが亡くなった時

「星野さんほど自然に対しても、熊に対しても造詣が深かった方が何故あんな亡くなり方を」

 と衝撃をもって受けとめられたことを思い出したりして。危険もそれに対するリスク回避の方法も熟知していた筈の人がその危険に捕まって亡くなるとやっぱり衝撃が走りますよね。

 星野さんが亡くなった時も撮影隊のクルーが一緒だったので、本来の星野さんだったらやっていなかったことをしていたのでしたっけ。

なにか民話のなら梨取りみたい。危険は「してはいけない」ことをほんの少しでも犯すとあっという間に牙を剥く。

 星野さんも中村先生も牙を剥かれた本人は、おそらくそれが「してはいけない」ことであることを理解していた点が痛いなあ。

中村先生の場合、アフガニスタン政府で「ガードをつけないと現場に出さない」と指示を出していた人間は都市部のエリートだろうから、現場の肌感覚で「こっちの方が安全」と知っていた中村先生の言葉を理解できなかっただろうしなあ。

色々なところでこういうギャップがあって「ああ、そっちじゃなくてこっちをできた方がいいんだけどな」と思っている人はいるのかしら?

アフガニスタン政府だって政府の威信とプライドにかけて中村先生を守ろうとしたわけだしなあ。こういう浮世の義理は難しいですね。

中村先生を偲ぶ会

今月の古事記講座の後、どんなものにも正と負両方存在するよね。不安に追われたり、日々の生活に疲れて視野が狭くなっていたりするとあっさり負のオオトノジに引き寄せられたりするよなあ、などと思ったりもしたのですが、そういう時ちょうど東京でも中村先生を偲ぶ会が開かれると知りまして。

一周忌を迎えて福岡をはじめ各地で偲ぶ会が開かれていたのは知っていたのですが、遠いし日程が合わないしと思っていたのですが、この日程なら行ける!しかも藤田看護師の講演会もあると知りまして。

うわあ、なんて貴重な機会!行きたいけれど、この時期開催なら人数を絞っているから無理かなあと思いつつ問い合わせをしたら、運よくキャンセルが出たそうで。

まあ、この時期にキャンセルが出たとなると、どういう理由で参加をやめたのかおおよそ判断はつくのですが、それよりも藤田看護師のお話を聞ける機会を逃したくなかったので練馬まで行ってまいりました。

なにせ藤田看護師といえばハンセン病院時代から中村先生の片腕だった人。中村先生に

「お国にはお国のならわしがあります。アフガニスタンの女性達の生き方を決めるのはアフガニスタンの女性達です。ただ私どもの団体で働く女性の姿を見て、そういう生き方もあると、そういう道を選ぶことはあるかもしれない」

 と言わしめた人。異郷の地で現地の人達の信頼を勝ち取った人です。そして、こういうと語弊があるのですがオオトノジに対するオオトノベの筆頭のような人だなあと思ったのです。

 中村先生をオオトノジだとすると、今のペシャワール会の会長やら事務局長から性別に関係なくそれを取り巻くオオトノべは沢山いるのですが(ついでにいえば、ペシャワール会は元々中村先生のお友達が「なんかよく分からないけど、晢ちゃんが頑張るなら応援してやらんと」で始まった会だけあって、きっちりヒエラルキーがあるわけではないし)、古くからのスタッフの女性というとまず浮かぶのは藤田看護師だし、だいたい医者と看護師はセットで考えられることが多いし、と正の方のオオトノジを支えたオオトノべの話を聞いてみたかったんです。

 

戦火のアフガニスタンで中村先生と仕事を続けてきた人だから、どんな迫力のある女傑だろうと思ったら、こういう雰囲気の看護師さんが病棟にいたら患者は安心するだろうなという雰囲気の可愛い感じの方でした。

藤田看護師の中村先生評は

「スケールの大きい楽天家。ああいう人が隣にいたことは人生で一番幸せ」

 実は、この言葉藤田看護師以外も異口同音に同じことを言っているのですね。藤田看護師の挨拶の後、良心の実弾という今年の6月に放映されたドキュメンタリーを流しまして。(その後に藤田看護師の講演会という流れでした)

 その中でペシャワール会の事務方の人達も現地で一緒に現地で仕事をしたワーカーさんも

「ああいう人の隣にいられたことは人生の宝だ」

 と、語っておりまして。このドキュメンタリー、私は6月に一度見ているのですが、私の見たのは短縮版だったみたいなのですね。九州ではフルバージョンを放映したようですが、東京では短縮版しか流さなかったそうです。(しかも早朝なんだものな。民放だからあの時間帯しか枠が無かったのだろうけど、ああいうのこそゴールデンタイムで流すスポンサーがいるといいのに)

 本当なら今回の偲ぶ会でも短縮版の方を流す筈だったのですが、流す時に間違えてフルバージョンの方を流してしまったそうなのですね。おかげで私は6月に見れなかったところも見ることが出来て有り難かったです。

 短縮版の方に入ってなかったと思うのだけど、中村先生の著作を出している石風社の福元さんのお話がなんか良くて。福本さんが最初に中村先生の話を聞いた時

「日本からアフガニスタンに渡ったお医者さんが現地で見捨てられていたハンセン病患者の治療をする。ああ、美しいな。でも自分はそういう美しい話は苦手だな」

 そう思っていたのに、ある時中村先生が患者との会話を記したものを読んだ。その会話を読んで福元さんは中村先生に激しく嫉妬した。

「治療を受ける為にやって来た少年に私は軽口を叩いた。『おい、まだ命はあるかい?』少年は寂しそうな笑みを浮かべて言った。

『先生、私の命はあるけれど完全ではないのです』」

 「どこに嫉妬したのか考えて、私は中村先生と難民やハンセン病の人たちとの関係性に嫉妬したと分かった。そして、この人の本を出そうと思った」

 これがなにか凄く良くて。こういう会話ができる関係性への嫉妬とこれ記録して絶対本として残したいとう思いが凄くよく分かるんですよね。日本人とアフガニスタン人。異郷に生まれたもの同士がこういう会話をする関係を築けた。

 そりゃあ、こういう会話があったことを知られないまま消えていくことが耐えられなくなって本を出したくなりますわ。

ドキュメンタリーの中には藤田看護師もおりまして。現地の医療関係者と撮った写真や現地の看護師を指導している写真を見せながら

「これ先生と一緒に写っているんですけど、アフガニスタンでもパキスタンでも男の人ばかりでしょう。ハンセン病の治療は状態を診る為に全部脱いでもらわないとダメなんですよ」

 そう言われました。ドラマ化もされたコウノトリの中で「さあ、今日はもう仕事もないし。呼び出される心配もないから皆で楽しく飲みましょう!」という時に後輩の医師の電話に病院から呼び出しコールがかかるんですね。

「ええ、私仕事終わったし。今日は当直当番でもないし」

 と呼び出された医師が渋ると呼び出した看護師が

「すみません、緊急で運び込まれた妊婦さんがイスラム教徒の方なんです。どうしても女医じゃなければダメだと言われて」

 と申し訳なさそうに告げて。チクショー、これは行かなきゃダメだ!と病院に戻る場面があるのですが、お産ですらそうなのだから通常の治療はさらに男性に診せたがらないでしょうね。

 そのうえ、ハンセン病は金にならないと現地の医者は診たがらないそうなのです。パキスタンアフガニスタン医療保険なんてものはない国ですから、当然検査も治療も薬も100%患者負担です。

 貧富の差の激しい国ですから、富裕層は自費で欧州でもアメリカでも治療に行けるけれど、それ以外の層はそういうわけには行かない。

そうすると医者も患者もどれから治すの優先順位をつけるわけです。

 ただでさえ「医者に診てもらう」のハードルが高いのに、そのうえ「成人女性が顔を晒すのは家族のみ」の文化がある地域。医師も看護師も男性ばかりの中「病院に女性がいる」ことが女性患者に与える安心感は日本とは比較にならないほど高い。藤田看護師は

「何度も帰国しようかな、やめようかなと思いました。でも女性患者は女性達しか見れない。私がやめたらこの人達はどうなるのかしら?」

 藤田看護師の言葉は、コロナ禍の今だと余計に響きますね。今も日本中に「やめようかな、どうしようかな、でも私がやめたらこの人達はどうなるのかしら?」と思っている人はいるでしょう。

 藤田看護師が辞めなかったのは信頼できる仕事仲間がいたからでした。中村先生達がペシャワールに渡った頃は、まだソ連アフガニスタンから撤退していなかった頃です。

 建物は徹底的に破壊され、まだあちこちで死体が転がっている状態でした。そういう状態のアフガニスタン

「そこで待っている患者がいるから」

 と誰も行かないところに行ったのです。欧米のNGOはおろか、都市部のアフガニスタン人でさえ行きたがらないところに行ったのです。

「先生は困っている人がいたら絶対に見捨てない。絶対にそうなさらない。だから安心してついていった」

 藤田看護師はそう語っておりました。

 

長くなり過ぎたので分けます。

やがてアフガニスタン地球温暖化の影響による大旱魃が‘襲います。井戸が枯れ、清潔な水が手に入らなくなり、渇きに耐えかねた子供が泥水を飲み、感染症で亡くなるという例が相次ぎました。

大人は理性で我慢しても子供は渇きに耐えきれなかったのです。いくら治療しても清潔な水がなければ患者は減ることはありません。水がなければ農業もできない。

ろくにものを食べていない体は余計に病気にかかりやすくなります。中村先生達は医者です。土木の知識はありません。でも飢えと病で亡くなる人を救う為には井戸を掘るしかありませんでした。

もちろんこれが無理なことであることは先生達にも分かっておりました。いつか世界がアフガニスタン旱魃に気づいてくれる。いつか世界からアフガニスタンを救う為の支援が来てくれる。その日までなんとか耐え忍ぶんだ。

 そう思っていた人々の元にやって来たのは旱魃への支援ではなく爆弾でした。

 9.11の翌日からアフガニスタンには、アメリカによるアフガニスタン空爆のニュースが流れておりました。アフガニスタン人は泣きもせず、叫びもせず自分達は逃げる場所もないと絶望しておりました。

 国外に逃げ出すことのできるものは逃げ出す力のあるものです。逃げ出すだけの力のなものは空爆のニュースを耳にしても国内に留まるしかないのです。

 ペシャワール会の日本人スタッフ達も外務省の国外退去命令によりパキスタンに撤退するしかありませんでした。

「こっちが一生懸命やっているところにアメリカは爆弾を落とすとよ」

 中村先生は悔しそうにそう言ったと藤田看護師は語っておりました。

 リーダーというのは、どういう時でも道を示せる人です。共に闘ってきたアフガニスタン人スタッフを残し、パキスタンに撤退したペシャワール会スタッフの前で中村先生は言いました。

「食糧ば配ろう」

 アフガニスタンの国内難民は衣服もない。食料もない状態で国に取り残されている。その人達に食料を配ろう。

「先生、お金はどうするんですか?」

 スタッフ達から当然の疑問があがりました。中村先生は日本に戻り緊急支援を訴えました。その間にパキスタンペシャワール会スタッフ達は製粉業者と油業者と運搬業者に連絡を取りました。小麦と油があればパンが作れます。

 中村先生の緊急支援講演のおかげで一月に二億円が集まりました。ペシャワール会への寄付は税額控除の対象にはなりません。税制優遇の恩恵は受けられないのです。それでも一月で二億円が集まったのです。

「あの時ほど日本は見捨てたものじゃないと思いました。小麦粉へのお金を払う時どんなに安心したことか」

 藤田看護師はそう語っておりました。中村先生も著書の中で「日本の良心ここにあり」誇らしげにそう記しておりました。

 頑張ったのは日本人だけではありません。日本人が外務省命令でアフガニスタン国内には入れません。集めた食料はアフガニスタン人スタッフとパキスタン人スタッフに託してアフガニスタンに運んでもらうしかありません。

 アメリカ からの空爆が続く中での食糧配布です。アフガニスタン人もパキスタン人も怖い。少なくともパキスタン国内にいれば上から爆弾が落ちてくることはないのです。

 アフガニスタン人もパキスタン人も弱みを見せたがらない人達ですが毎日空爆が続く中で食料の配給を続けるのは容易なことではありません。いつドクター中村にやめると言うか協議している時に一番年長のスタッフが言ったそうです。

「おまえ達がやめたいと言うならやめろ。自分一人で食料を運ぶ。これは中村先生が家族と過ごす大事な時間も削って1日に2〜3ヶ所も回って講演してくれたおかげで買えたものだ。

 日本の皆さんがアフガンの為に集めてくれたお金で買えたものを放置することはできない」

 アフガニスタンパキスタンも年長のものを敬う文化がある地域ですから年長者にこう言われた以上引き下がるわけにはいきません。

こうしてアフガニスタン人スタッフとパキスタン人スタッフの頑張りのおかげで27万人に食糧配布ができたのです。

「嘘のような本当のお話です」

 藤田看護師はそう語っておりました。

 

中村先生とワーカーさん達についてはNHKのBSと総合でそれぞれドキュメンタリーの放映があるそうです。

12月28日(月)NHK BS1 で21;00 〜22;49 「良心を束ねて川となす」

 

12月27日(日)10;05 NHK総合で中村先生と一緒に現地で働いていたワーカーさん達のその後を追うそうです。

 

これBS1の方も楽しみなんですが、総合の方も興味があるんですよね。大きな影響力がある人と一緒に過ごしたことがその人のその後の人生にどういう影響を与えるのか。

 

講演会の後、中村先生の死について「あのような方が殺されたということが理解できない。誰があの方を殺したか分かっているんでしょうか?」という質問が出ました。藤田看護師は

「先生が亡くなったことにアフガニスタン人が悲しんでいないとは思わないでほしい。先日アフガニスタンでも追悼集会が行われ、緑化が成功し、試験農場があるナンガラ州の知事が『亡くしてはいけない人を亡くした』と話していた。

ナンガラ州の知事は中村先生にガードをつけていたが、先生は『ガードをつけることでかえって目立ってしまう』と言っていたけれど、政府の方からの通達で『ガードをつけないと現場に出さない』と言われていた」

 中村先生が亡くなった後、長年世界各地の紛争地での紛争処理、武装解除などに当たり実務家として紛争解決請負人の異名を持つ東京外国語大学の伊勢﨑教授が

「中村さんが『アフガニスタン政府から名誉市民権を与えられた』というニュースを見た時から悪い予感がしていた。アフガニスタンのような政情不安な地では、ガニ大統領を快く思わないすべての勢力からテロのターゲットとして狙われる危険性が高まる」

「中村さんが武装警護をつけていたことに違和感がある。現地スタッフの運転するオートバイの後ろに現地衣装でちょこっと座り移動するのが一番安全だと知り尽くしていたのが中村さんのはず」

 と語っていたのですが、今回藤田看護師が

アフガニスタンでは今外国人への就労ビザは出さない。私も何度も申請したのだけれど、未だ降りておりません。先生は本当に特別に出されていたんです」

 話されたことで、それが理由かと納得しました。ペシャワール会の日本人スタッフが治安の悪化で日本に帰り、現在アフガニスタンに残っている日本人スタッフは中村先生ただ一人だということは知っていました。

 これ誘拐によりワーカーだった伊藤さんが亡くなったことで中村先生の意志で帰国させたかと思っていたけれどビザの問題も絡んでいたのね。藤田看護師は2009年まで現地におられたそうですが、それから何度もビザを申請してもおりない。

 そういう状況で特別にビザを出している政府から「カードをつけないと現地に出さない」と言われたら断れないですよねえ。現地で事業を続ける為に一番安全な「丸腰のボランティア」スタイルを通すことが出来なかったのか。

 それはペシャワール会の人達が中村先生と一緒に亡くなった現地スタッフの死を悼む訳だわ。従来のスタイルを貫いていれば失うことはなかったのかもしれないのだもの。

 政府の要請を聞かざるを得なかった結果、現地スタッフをより危険に晒してしまったのですね。

 そこまで中村先生は事業の継続を望んでいた。藤田看護師は

「『中村先生が誰にやられたのか』を探ることを先生は望んでいないと思います。先生が望んでいるのは事業の継続です。中村先生が知って欲しいのは『ご自分が誰に殺されたのか?』ではない。アフガニスタン旱魃です。それはもう自信を持って言えます。」

「追悼集会の時、現地の方が知事に向かって『2ヶ月以内に犯人を捕まえろ。でなければ自分が犯人を捕まえる』そう話したそうです。

PMSのスタッフはそれに参加していない。私はそのことにホッとしています」

 敵討ち文化のあるところですから、恩人が殺されたのなら敵討ちしないと恥という想いで自ら動く人達が出て当然なのです。そのことにペシャワール会の現地スタッフは参加しなかった。

 それよりも中村先生が望んでいた水路を広げること。砂漠を緑化することを優先した。畑を1枚でも回復させて、農地を回復することを優先した。

 そのことを藤田看護師はホッとしたのでしょう。中村先生が亡くなる直前にペシャワール会では現地事業の20年体制を作っておりました。現地の事業をあと20年は支援するという方針を立てておりました。

 20年の間に日本人がいなくなっても大丈夫な体制を作る。そういう予定でありました。中村先生が亡くなった後もその方針は変わりはありません。現地も日本側の二十代の若い人を雇って支援する体制をしているそうです。

「中村先生は嘘は言わない方でした。やると口にしたことは時間がかかっても必ずやり遂げた方でした」

 中村先生に砂を投げたり、不正をしていたり、ということもあったそうです。そういうことも含めて中村先生は現地の方に愛情を持って接していた、と藤田看護師は語っておりました。

 

 

藤田看護師の話でへえ、と思ったことがありまして。

「患者さん達との会話はどうしていたんですか?」

 という質問があったのです。アフガニスタンは当然英語圏ではありません。日本の田舎で英語を話せる人がどれくらいいるかということを考えると、英語を話せる現地スタッフが通訳をしていると考えるのが自然でしょう。ですが藤田看護師は

「中村先生は言葉の達人でした。患者さん達とは現地の言葉で話しておりました」

 と答えた後

アフガニスタンのお医者さん達が通訳すると患者さん達の言葉を半分しか訳してくれないのです」

 と続けました。現地では学校をでた人はエリートです。男性も学校に行っていない人達はいっぱいいます。PMSの職員も半分くらいじゃ学校に行っていません。

「私達は医療の恩恵から見放された人々のところに参ります。本当に医者に見せなければいけない人々が山から降りてこれないのです。

そういう田舎の人々の言葉を現地の‘ドクター達は通訳したがりません」

 イザベラバードの日本奥地紀行という明治初期にイギリス人女性が日本人通訳を共にして、関東、東北、北海道と日本を旅した記録を記した本があるけれど、この中でも通訳の日本人がイギリス人女性の質問に答えない時が多々あるのですね。

 まだ外国人が日本国内を移動する範囲が限られた時代、限られた場所以外を旅する時には特別の許可証が必要な時代でしたから、通訳としてはこれは外国人に自慢できる、教えてもいいと思ったこと以外は伝えたくないわけですよ。

 明治期の日本、しかも戊辰戦争の傷跡が色濃く残る東北地方を旅するわけですから、これは外国人には伝えたくないなと思ったことはバックれるわけです

 同じようにアフガニスタンの医師達もこれ外国人に伝えるのは嫌だなと思ったことがバックれるわけです。藤田看護師に

「現地の人達は中村先生を尊敬しているとおっしゃいましたが、そのわりに先生の著書を読むと随分会話がくだけているような。尊敬しているに対して丁寧語を使われないのでしょうか」

 尋ねた方がおりましたが、それについては

「丁寧語は学校に行った人しか使えません。学校に行ったことのない人は普通の言葉しか使えません。普通の言葉で話しているといっても尊敬していないわけではないのです」

 と答えられました。これだけでアフガニスタンの国内格差が分かりますね。アフガニスタンの医師達は学校に行って、しかも医大に行ったのですからアフガニスタンでは超エリートなわけです。

 

 ペシャワール会は「自分達が行かなくても病院のあるところなら自分達が行かなくても困らないだろう。自分達は他の人達が行かないところに行く」という方針でしたから、他のNGOどころか都会のアフガニスタン人も行きたがらないところに行くわけです。

 なにせアフガニスタンは山国で、氷河の見える標高3000mのところに村々があるような国ですから(これがアフガニスタンを征服しようとしたイギリスやソ連などの外国軍が手を焼き、諦めて撤退した理由の一つ)、電気も水道もない村への往診ということも珍しくないわけです。

 都会育ちのアフガニスタン医師達は、そういうところへは行きたがらなかったそうですが、なぜか日本人ドクター達はそういうところを面白がって行きたがったそうで、高山病を乗り越えて生き生きと仕事をしていたそうです。

 現地の人達も日本人医師がわざわざやってきてくれたと大変喜んだそうですが、同時に彼らは常に不安を抱えていました。

「ドクター中村はいつまでいる?藤田はいつまでいる?」

 アフガニスタンパキスタンも外国人の支援団体は2〜3年で撤退するのが常でした。こうやってやってきてくれる日本人医師達も他の団体のようにやがていなくなるかもしれない。

 そう不安に思っている人々の為にペシャワール会は病院を建てました。病院があれば、ここに行けば治療を受けられると分かります。

他の団体のように一時いて去っていくのではなく、ずっとここで医療サービスを提供し続けるという意志を病院を建てることで示しました。

 病で疲れた人達のオアシスにしよう。医療の恩恵を受けられない人達の病院にしよう。そうやって建てられた病院は学校に行けなかった人達の教育機関でもありました。

 日本人が当たり前のように知っている衛生知識や予防知識、治療に関する知識を病院に入院した人々、病院を訪れた人々は学んだのでした。

 

旱魃が始まった時、まず必要としたのは清潔な水を得る為の飲料用の井戸でした。ですが飲料用の井戸だけでは田畑に水が足りません。農業を続けるには農業用水が入ります。

ですが旱魃が進み、灌漑用の井戸を掘ると飲料用の井戸が枯れるので政府から灌漑用の井戸を掘ってはいけないと通達が出てしまいました。

アフガニスタン空爆時は緊急食糧支援で、アフガニスタンの人達は飢え死にせずにすみました。水がなければ農業ができない。アフガニスタンは農業国です。大方の人間は自分の田畑で採れたもので自給自足しています。

それができないので人々は配給の食糧に頼らざるをえない。

いつまで彼らは人から食糧をもらって生活するんだろう。

いつまで自分達は食糧を配給するんだろう。

中村先生とペシャワール会は水路を作ることを決意しました。事務局は一致団結ではありませんでした。不安の方が大きかったのです。土木知識のない素人の集団です。水路事業が始まってから専門家に言われました。

「あなた達のやっていることは国家規模の事業だよ」

 治水は国の要です。治水事業を成功させた王が名君と称えられるのです。寄付だけで成り立っている小さなNGOが行うにはあまりに大きな事業です。

 それでも現地の住民達と話し合って水路事業を始めました。

 水路を作れば水が来る。水が来れば農業が出来る。農業が出来れば食糧を自給自足できる。故郷を離れて難民になったり、生きていくため、家族を養う為に傭兵になったりせずとも生きられるのです。

 仕事は、村長、郡長、水務官と話しながら進めていきました。セメントはダメでした。大変高いので長続きしない。水路が壊れても現地の人達が直すことができないので維持管理ができません。

 欧米のNGOが作って、やがて放置された建造物をアフガニスタンの人達もペシャワール会の人達も数多く見てきました。現地の人達が手に入れやすい材料で、現地の人達が維持管理できる技術で水路は作らなければいけません。

 試行錯誤の末、ペシャワール会が選んだのは故郷福岡の暴れ川、筑後川を治めた山田堰の技術でした。中村先生は、山田堰の側で三日間ずっと座って河を眺めておりました。

 材料は現地の住民が調達しやすい石です。日本の人達が木を使って何か作ることに長けているように、アフガニスタンの人達は石を使って何かを作る技術に長けておりました。

 日当で雇われた地元の住民達が労働者として水路を作ります。こうして働きながら学んだ技術で住民自らが水路を維持管理できる可能性は高くなります。

 人々が作業している上を戦闘ヘリが毎日飛んでおりました。それでも人々は作業を続けておりました。悪戯心を出したヘリから機銃掃射が降ってきたこともありました。威嚇のための射撃でも弾丸に弾かれた石が弾ければ当たった人は怪我をするのです。

 アフガニスタンの女学校。女の子達が学ぶ学校の向こう側に外国軍の演習場がありました。学校と言っても屋根もありません。建物もありません。けれど教える先生と学ぶ女の子達の姿がありました。

 学ぶ女の子の姿を面白がってからかうつもりだったのか演習場から撃たれた弾で石が弾け、弾けた石に当たった女の子が怪我をしました。中村先生は女の子達に言いました。

「いつか君達に屋根のある安全な学校を作ってあげる」

 このことを語った藤田看護師は言いました。

「先生は嘘は言わない人でした。村人と約束したからには何年経っても果たす人でした」

 水路が完成した時は、通水を見ることができるように必ず病院の人達も呼んで連れてきました。そういう時は何故かいつも子供達もやって来ました。どうやって知ったのか何故かいつもやって来て、水が来るのを待ち構えておりました。

「この写真に写っている子、この子達は今では20歳くらいになっているでしょう。空に飛んでいる先頭へりも国際支援です。地べたで土まみれになって水路を作っている人達も国際支援です。どちらも同じ国際支援です。アフガニスタンの子供達はそれを見ております」

 藤田看護師はそう言いました。平和は戦争よりも努力と忍耐がいります。

 水路の土手には木を植えました。これも日本の技術です。土手に植えられた柳は根を張って水路を守ります。鉄砲水が出た時は木々が水を還流化させます。江戸時代に生まれた技術がアフガニスタンの水を守りました。

 水が来たので、農業ができるようになりました。収穫物のやり取りの為に市が立ちます。柳が影を落とす水路には魚影も見られるようになりました。それを捕まえて天ぷらにして市場で売り出す人も現れました。

 一つの水路が生活の糧を得る方法を広げていきました。

 中村先生が生きていた頃、水路事業の後継者について尋ねた人がおりました。

「後を継ぐ者はないでしょう」

 中村先生はそう答えました。

「人の名前は忘れられる。でも水路そのものは残っていく。アフガニスタン人の生活に必要なものであれば保全されるだろうと思っています。人が育てるし、ものが育てる。

壊れたら、今度は壊れないようにと皆が考えてくれる。残った彼らがこれから続けられるようになっている方が大事」

 アフガンの人達は事実しか信じない。いくら口で言っても信じてくれない。やって見てなんぼ。やったところを見てくれる。美しい言葉だけを言って去っていく異邦人を彼等は沢山見てきた。

 口で立派なことばかり言わんで行動で示せ。理論よりは実行するんだ。

「いつかは『昔、日本人がこれを作ったんだ』という伝説みたいになるといい」

 と語ったと藤田看護師は言いました。そして今、アフガニスタンで事業を続けている人達はまだ二十代なので支えていかないと、と。

 

「中村医師は何故人を動かすんだろう?」という問いかけに藤田看護師は答えました。

「一貫して先生は変わらなかったから。命を救うということに対して本当に変わらなかったから。困った人は絶対に見過ごさない。そういうことを行動で示していた。

 病院で毎日、毎日患者さんが途切れなかくて、先生に聞いたことがあるんですよね。

『先生、達成感はいつあるんでしょうね?私達の仕事はもうここでいいいうことはない。私達はいったいいつまで続ければいいんでしょうか?』

 そしたら先生が

『まあ、それはないけど。自分がここにいる時、治った患者さん達が退院していった。まあ、それでいいんじゃない』

それを聞いて、ああそうか、それでいいのかと気が楽になって」

 目の前で今自分達ができることをする。祈りは得る力として現実化して活路がある。日本の人達にして欲しいことがありますか?という質問に藤田看護師は言いました。

アフガニスタン旱魃を知ってほしい。この旱魃の中で大勢の人達が生活をしている。そのことを知って欲しい」

 来ている人の中で藤田看護師に質問した方が言いました。

「僕には小学生の娘がいます。こんな嘘を言う人ばかりの日本で娘に何をしてあげられるんだろう、と思っていた時に中村先生を

知りました。先生は正直に嘘のない人生を全うされた。

アフガニスタンの子供達は旱魃で大変でしょう。でも心は健康だと思うんです。日本の子供達の心の健康の為に支援していきたい。こういう人がいたよ、ということを知って欲しい」

 ペシャワール会では現在も会員を募集しているけれど、こういう気持ちで会員になる人も多いのでしょうね。会報を見ながら子供とアフガニスタンのことについて話すこともできるし、自分のしたことが誰かを助けている。今は苦しいけれど、異国の地で自分と同じように苦しみながらも頑張っている人がいる、そう思うことで救われる人もいるのでしょうね。

 

 

 

イギリスでコロナ変異種出現

イギリスでコロナ変異種が見つかった件で、夏お坊さんとお会いした時の話を思い出しまして。

「こういう時には、嘘が流行りますから注意しないといけません。ワクチンが出来れば全て解決する。あれ、嘘なんですね。コロナの菌、あれは要するに風邪の菌と同じなんですね。昔から風邪を治す薬ができたらノーベル賞ものと言いますね。

 そして風邪の菌というのはとても変容しやすいものなのです。せっかくワクチンを作っても、コロナの菌が変容して、また新しいワクチンが必要になる。そういうイタチごっこになる可能性はあり得ることなんです。

 だからワクチンがないと駄目なんだ。そんな風に思いこまない方がいいんですね。手洗い、うがいをしっかりして、よく食べ、よく眠り、体を動かして毎日を楽しく過ごしてコロナに対抗する力をつける。

そうやって自分にできることを重ねていった方がいいんですね」

 というような話をお聞きしたなあ、ということを時と思い出しまして。それを思い出したらイギリスのニュースも、あらやっぱり変容したのか、という感じになりまして。

 まあプロのお医者さん達が頑張っているんだから素人が心配でバタバタしても仕方ないでしょうし、とりあえず今まで通り自分ができることをしていくしかないのでしょうね。

 とりあえずコロナのことが心配で心配で何をしても落ち着かない人は換気扇の掃除でもすればいいのじゃないかな?あれ無心になって換気扇と結構厄介だし。

 換気扇を研いでいる間は気が紛れるでしょうし、ピカピカになった換気扇を見れば達成感も出るし、よくやった自分を褒めてあげたくもなりますしね。

 女の人だと全く何も考えたくない時は、ただただ無心にキャベツを千切りにしたり、玉葱をみじん切りにしたりというのをライフハックとしてやっている人もいそうですよね。

 玉葱みじん切りは冷凍できるから食材の無駄にはならないし、一山全部みじん切りにしたら達成感はあるうえ、冷凍玉葱は飴色に炒めるのが簡単だから冷凍庫にあると助かるし。

 こういう時はなんでもいいから何か自分にできることをしておくというのも生活の知恵なのかもね。

知識がなくても医療ジャーナリストを名乗れる

こういう人が医療ジャーナリストを名乗って、不安感を煽っているのだから、そりゃ正しい情報が伝わりにくくなるよなあ。( ̄O ̄;)

togetter.com

彼は感染学の専門家ではないです。殆ど研究業績もありません。 」

 

ポリオ根絶、新型インフルエンザ対応、SARS対応、鳥インフルの危険性を世界に発信

 

その前にあなたは「医療ジャーナリスト」を名乗れるほど学んだのか、何か実績があるのかを見せてほしいもんです。

 

医療ジャーナリスト」としての信頼性や信憑性に関わる発言なのだと思うのだけども

 

「尾身先生、西太平洋からポリオを追い出してSARSを制圧してるけど実は感染症の専門家じゃなくて研究実績もほとんどないんだって!知らなかったわー(棒 」

 

「西太平洋地域においてポリオの根絶を達成し、WHO西太平洋地域事務局事務局長を長年勤められた尾見茂先生に対して「研究業績が殆どない」と嘲罵された医療ジャーナリスト()の伊藤隼也氏のpublication listの一部です。 特に着目すべきは細川ふみえ写真集ですね。 」

 

「ジャーナリストとして素晴らしい実績をお持ちですね!とても尊いと思いますよ!!!」

 

「それに比べてあなたが子宮頸癌のワクチン根絶という大きな結果を残しているわけですから素晴らしいですね」

 

「久々に言います。 まず、ググれ ggrks 取り敢えず、ググれ。 通報までセットです。」

 

「伊藤隼也は医師免許も持ってないド素人、元々はAV女優のヘアヌード写真集を撮ってたカメラマンだよ。サイエントロジーとか内海聡とかとつるんでる胡散臭い男。そんなヤツが尾身茂氏を『専門家じゃない』とか、笑わせやがるww」

 

「感染『学』の専門家でも無いし、研究実績も乏しい」のは実務家だからじゃない?

ビルゲイツは億万長者だけれども経済学の専門家ではないし、研究実績もないだろう。 専門家の定義を大学で研究している人に限定し、実務家を入れないのが本邦の主流なのか?」

 

応援とミラーリング

コウペンちゃんとごっちゃにされそうだけど、コウペンちゃんは応援と承認だけど、こちらはミラーリングによる自己探索のような気がするから少し違う感じがしますね。

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 コウペンちゃんも皇帝ペンギンも「今」必要とされているキャラクターという点では共通しているのじゃないかな?(。・ω・。)

 

コウペンちゃんのような素直に応援にもささくれだってしまう時には、ぺんぺんの「知らんけど」が後につきそうな肯定の方が気が楽でいいかもしれませんね。

 

コロナ再拡大

コロナ拡大以前から医療従事者の過重労働は問題になっていたから、大変なか医療従事者は頑張っているなあ、と思いながらニュースを見ている。

医療崩壊は医療従事者の騒ぎ過ぎと書いていたストラジストさんがいたけれど、以前から医療危機について関心を持っていると、このストラジストさん防疫だけでなく、医療についての知識が低いんだな。自分の持っている知識が低い分野でも堂々と情報発信できるなんて、いい商売だな、と思ってしまいますね。

まあ信頼できる情報発信者は自分の専門外のことについての発信は慎重になるから、信頼できる情報発信人を見極めやすくなっていいけどね。

危機を訴えているのが北海道、東京、大阪で。北海道と東京はともかく大阪はどうしても

「ああ、病院の統廃合で揉めていたものな。保健所も減らしていたから衛生行政職員も往時より3割減っているんだっけ。少ない職員で回していると現場の皆さんは大変だろうな。

手が足りないと休みをちゃんと取ることも難しくなるだろうし、休養をちゃんと取れないと免疫力も低下するだろうからクラスターも発生しやすくなるだろうな。現場に余裕がないと、もしもの時に対処できない場合を考えて過剰防衛になるのは無理ないよね」

と思ってしまいますね。

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それにしても各国、緊縮財政で行政のスリム化や医療行政への予算削減を図った後を狙ったようにコロナが発生してますね。欧米を見ると日本の医療行政はそれでもかなり上等な部類なんだよなあ。

もっとも日本でも財政健全化をしたい行政官と地域医療を守りたい医療者側が対立するという構図は起こってますけどね(友達がこれでキレていた)

市民病院の赤字に悩む自治体が事欠かないように医療というのは金喰い虫であるけれど、経済危機に陥った時でもIMFの言うことに逆らって緊縮政策は取らず

「医療は国が守ることを保障するから!病気や怪我になっても今まで通りちゃんと病院にかかれるから!」

 と明言して国民の不安を和らげて、その他の政策とあわせて経済危機を脱したアイスランドの例もあるからなあ。

 ブレイディみかこさんの本でイギリスのEU離脱に関して

EUを離脱すればEUへの拠出金を予算を削減され続けているNHS(国民保健サービス)にまわせる」

 というデマが流れてEUを離脱すればNHSの現状が改善されて、がん患者が治療を受けられるまで何ヶ月も待たされることが無くなると信じた人々がEU離脱に投票した、という事情が書かれていたなあ。不安はそれくらい強く人を動かす。

 

 

 今回コロナのおかげで経営危機に陥っている病院も多いそうで。行く必要のない老人が病院に行かなくなったと揶揄する人も多いけれど、実家に帰った時に地元で「ご近所のお医者さんに診てもらった後、『これは大きい病院で診てもらった方がいいですね』と紹介状を出してもらって1日がかりで行く病院」と見なされているところでクラスターが発生したそうで

「みんな怖がっちゃって行かないから、いつも混んでいるあそこが閑古鳥鳴いているらしいよ」

 という話を聞いたから、そうとばかりは言えないのじゃないかな?お年寄りだと病気や怪我は怖いけどコロナも怖いから痛いのは我慢するという人達も一定数いそうだし。(実際「定点観測しないと病状の急変に対応できなくて危険だから持病のある人は怖がらずちゃんと来てください」と言うお医者さんのツイートを見たなあ)

 ボーナスシーズンが近づいておりますが、全国の4割の病院はボーナスカットだそうで。病院の経営が厳しいからやむを得ないとはいえ、神経を使う状況で、過重労働で働き続けて、対価の面でも報われないとなれば医療従事者は腐るわなあ。

 フランスでは仕事を辞める看護師が相次いで、医療従事者の状況改善を求めるデモが起こっていましたっけ。日本でも

「地域医療の砦を守ろう!コロナ対策費や医療従事者への人件費を支援しよう!」

 と病院を支援するクラウドファンティングが起こっていましたね。イギリスでは

「国が俺達の為に何をしれくれないなら、俺達自身が俺達の地域を守るしかない」

 と貧しい地域で地域ネットワークがより強化される傾向について書かれていたけれど日本の場合はどうなるのかしらね?

地域ネットワークの強化って正の面と負の面があるんですよね。先日亡くなった矢口高雄さんが

「僕の子供の頃は冬病人が出ると村の大人達が病人を橇に乗せて、病院のある町まで数人がかりで病人の乗せた橇を引っ張っていくしか方法がなかった。だから地域ネットワークから外れるということは死活問題だった。僕のおじいちゃんは厳しい人だったが地域ネットワークから外されることの怖さを熟知していたので、世の中から外れることをことのほか怖れた」

 というようなことを書いておりまして。コロナ禍の今ではどうしてもそれを思い出してしまいますね。

イランで忍者ブーム

イランで忍者ブームだそうで。こういう記事はどこか楽しい。(^◇^)

イランでは忍者の道場まで誕生している。しかも、その歴史は意外と古く1989年からあった。今では数万人が忍者の訓練をうけているとされており、しかも、その多くが女性になっている。

イランではイスラムの教えにもとづくより強固なイスラム原理主義を国内に布いており、肌の露出はNGになり、男性でも半ズボンは禁止になる。女性に至っては髪の毛を隠すこと、体の線を出さないことが法律で決まっている。

そのため、女性は髪の毛を隠すためにヒジャブといわれるスカーフの着用が義務付けられている。

このスカーフを着用することが忍者装束とか変わらないため、女性でも気兼ねなく打ち込めるという理由でイラン女性の間で広まったといわれている。

 

イスラムの教えで髪の毛を隠すのは、女性の魅力を隠すそうだ

まあ、確かに忍者装束は全身を隠すから、イスラムの戒律には背かないのか。

イランの法律で女性は髪を隠せないといけないのはイスラムの戒律からきていますね。(世俗派のトルコでもスカーフで髪を隠すし)

髪は女性の魅力を表すので、髪を隠すのは女性の魅力を隠す為。髪をだした魅力的な姿を見ることが出来るのは夫と家族だけにするためですね。

この記事についての反応がこちらでまとめられていますが、ツッコミを入れたくなる気分は分かる。

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忍術って修験とか密教の影響受けてるけど大丈夫かな?

神棚があってしめ縄もあるのはいいのかそれ(笑)

型は武神館のものですが、指導者があやしいな。 意図的に空手やアクロバットを混ぜてる様子です。 武神館の武道体術は本物ですよ。

忍者の原点は山岳信仰とも言われており、ある意味宗教起源の存在なんだがなぁ…

 まあ、海外の忍者のイメージってマンガやアニメから来ているだろうから、こういう背景についてどこまで知っているか分からないけど、日本人としてはツッコミを入れたくなりますよね。