火曜日の思索メモ

思ったこと、考えたことの記録です。

理念を忘れないということは大事

小山田さんの件で思ったのですが、理念を忘れないということは大事ですねえ。

あの件、海外でもあっという間に広まりましたが、あれオリンピックやパラリンピックの理念に反する行為した過去を持つ人物に楽曲を依頼したのだから広まるの当然なんですよね。

 

いくらオリンピックが商業主義に染まっているという批判があっても、建前として理念で運営されているのだから、理念に反する行動を取った人物に開会式の楽曲を任せるということは、「建前としての理念すら守ることの出来ない国」という評価をされてしまうんですよ。

 

海外の主要メディアが報じてから慌てて辞任させてということは組織委員会もそのことをよく理解していなかったのじゃないかしら?

当初は「倫理観をもって仕事をしている」とかぼう発言をしているし。NBCが報じたあたりで、ようやく何が問題なのかを理解したのかしらね?

まあNBCがオリンピック委員会を通じて、日本の組織委員会にクレームを入れた可能性も考えられるけれど。

アメリカ人正義が好きだし。自国内のヘイトクライムで頭を悩ませているから差別には敏感ですものね。オリンピックブランドに傷がつくようなことはさせたがらないでしょうね。

それにしても小山田さんの選出って、どうやって決まったんだろう?名前を検索すれば「いじめ」と出てくるようなことを見逃すほど組織委員会の選出方法ってザルなのかしら?

あのインタビューを読んで、問題ないと思うほど組織委員会が基本理念に鈍感だとは考えたくはないけれど、十代の頃の話なら問題ないと思ったのかしら?

本人が、二十代どころか三十代になっても自らインタビューでいじめを語っているのに、リスクの高い人物だと判断しなかったということ?

 

そしてオリンピックの楽曲を引き受けるのだから、小山田さんの方も自分の過去が問題になるとは思ってなかったのでしょうね。(思う人なら、この件について複数回語ったりしないよねえ)

作家やミュージシャンは本人の性格がクズでも「作品と本人は別」と切り離してもらえるけれど、基本理念のあるところの仕事ではそうはいかないでしょう。

基本理念に反した過去は問題とされるでしょうね。組織委員会にとっても小山田さんにとってもオリンピックやパラリンピックの基本理念はどうでもいいことだったのね。

 

やっぱり日本人は理念ということについて軽く考えたり、認識が甘かったりする人が出やすいのかしら?

一神教を奉じる人が多い国々では、文化のバックボーンに「神との契約」があるから「契約を破るもの」「理念を無視するもの」への視線は厳しそうですものね。

「条理に合わない契約なら結ぶな」「現実に合っていない理念なら改訂しろ」という発想になりそう。

「理念を変える」という合意を得ていないのに、理念に反した行為をしたものに式典の楽曲を担当させるとなると「why?」だし、常識の通じない国だという目で見られても仕方ないでしょうね。すれすれギリギリの危ないところでしたね。