火曜日の思索メモ

思ったこと、考えたことの記録です。

「これは嫌だ」と拒否する力

今月も古事記講座がありまして。今回も深い話だったので、理解する為に整理して纏めないとな、と思っているのですが、その前にちょっと連想したことがあったので書いてみます。

「拒否」これが他の国にはない日本の人間力だというお話をお聞きしたいのですが、そのすぐ前に「野生との共生を目指してー希少猛禽類とエネルギー問題」というオンライントークを見たばかりだったので(これ、凄く良かったです。7月26日までアーカイブス配信をしているので、ご興味ある方はご覧になってください)

www.htb.co.jp

ペシャワール会の中村先生も、猛禽類医学研究所の齊藤先生も

「こういうものなんだよ」

 という現実に対して拒否しているなあ、と思いました。オオワシをはじめとする大型猛禽類や鳥類って越境する生き物なんですね。

 だから、この生き物が生息できる環境を守るには日本だけの努力ではダメなのね。同じようにオオワシの生息地であるロシアの環境も整っていないといけない。

 それは理解できるけれど、オオワシの営巣できる環境を守る為に、ロシアでサハリンプロジェクトに異を唱えるって。

ロイヤルダッチシェルを訪問したのですが、最初は話を聞いてもらえませんでした」

 うん、まあ、そうでしょうね。ロシア訪問の時、斎藤先生は自分の姿を撮影することをHTBに許しているのだけれど、これ訪問時に消される可能性を考えてそうしてますよね。

 訪問した、という記録が残っていればロシア側も危害を加えることを慎むでしょうし。ロシアで国家プロジェクトのエネルギー問題に異を唱えるのだから、それくらいは用心が必要ですよね。

(斎藤先生、ロシア側が発表したことが事実と異なっているので、オオワシの生育環境が阻害されることを訴えて、ロシアで7回逮捕されているそうです)

 それにしても具体的な事実というのは、やっぱり強いわ。

「途中でロシア側の方針が変わったらしく、こちらの話も聞いてくれるようになった」

 と語っていたけれど、これそれまで諦めず、根拠のある具体的な事実を届け続けたからですよね。

 ロシアで逮捕されても諦めなかったというところも凄いし、それでロシア側がシベリアの石油開発にあたり、オオワシの営巣に不都合が生じないよう配慮を加えてくれるようになったというところも凄い。

「先生、獣医ですよね。僕たちがイメージする獣医とはまるで違うことをされているのですが、どうしてそんなことができるのですか?」

 と感嘆するインタビューアーに対し

「知ってしまった以上、やらないわけにはいかないから」

 と、齊藤先生は淡々と応えていたけれど、そういうところもペシャワール会の中村先生を連想させるなあ、と。

 中村先生も医療支援から始まって、砂漠の緑化に至る長年のアフガニスタン支援について

「目の前に困っている人達がいるのにやらないわけにはいかないでしょう」

 と淡々と応えていましたね。

www.peshawar-pms.com

 どちらも現実に対する拒否。自分の力では、とても解決できないと思えるとんでもないことに対する拒否。

 拒否できる。これが日本人の持つ力。

 そういえば萩尾望都さんの「私の少女マンガ講義」が文庫になっていましたね。

これナポリ東洋大学ボローニャ大学、ローマの日本文化会館での講演の講演録を中心として纏められた本でして。

「女の子にも自由はある」

 という贈り物を作品として少女たちに手渡した少女漫画の歴史について語っているのだけど、これも日本人の持つ「拒否する力」の表れだよなあ、と。

 少女漫画というものは「少女の、少女による、少女の為のメディア」という日本独自の文化なのですね。

 だから世界最古の大学として名高いボローニャ大学や18世紀から続くイタリア名門大学の一つであるナポリ東洋大学

「イタリア人に向けて日本独自の文化である少女漫画を語って欲しい」

 と依頼したわけで。自分達の歴史にはないものとして魅かれるものがなかったら、イタリアの名門大学が講演を依頼したりしませんよね。

 ナポリ東洋大学の教授が

「少年漫画には似たようなジャンルがあるのに、なぜ西洋で少女漫画のような現象が現れていないのだろうか。その理由はわからない。

私が言えるのは西洋には日本の少女漫画と少女漫画の影響を受けた作品(例えば吉本ばななの初期の作品)を理解できる感受性はあっても、そういうものを創るための資格自体がないのではないかということだ」

と書いているのが、今回の古事記講座とあわせて考えると、とても面白い。

神の命を拒否するという発想がなく、神の庇護と重圧を受け続けてきた西洋と古事記の時点で父神からの神勅を「嫌だ」と拒否してきた日本。

私達の文化には「拒否」がある。「拒否」出来るものが現れる。そして、そういうことの出来るものが為したことに対して別の文化圏に属するものも魅かれる。

そういうことの意味をコロナ禍の今、考えたりもするのです。