イオンシネマの炎上について
「あんな危険なことはプロはしない」
「介助は、誰でも出来るなんて言っている人達は、私達の仕事をバカにしてるのか?」
と介護を生業にしている人達が呟いていたけど、そりや真っ当に仕事している人達は怒るわなあ。
介助って介護のプロでも疲れてくると難しいのだけど、人を介護した経験がないと、そのあたりが分からない人もいるのでしょうね。
あの炎上について
「あれは仕方ない点もあるよ。介助される経験はあっても、介助する経験がないから、介助する側の大変さは分からない。
だから介助する側の負担を考えないで、自分の要求ばかりを突きつける」
という言葉を見かけて、ああ、そういうことはあるかなあと。
今の自分の置かれている環境からの視点からでしか物事を眺められないと、善意で行ってくれた特別なサービスに対しても不満しか持てないのかも。
イオンシネマの炎上について苦言していた車椅子ユーザーの方は健常者だった時代に人の介助をしたことがあるようだし。
たとえ一度も人の介助をしたことがなくて、ずっと人の手を借りる経験しかしたことがなくても、他者の視点で物事を考えられる人は、してくれたことに不満があっても
「でも善意は善意だし」
と切り分けが出来るし、そのうえで
「じゃあ、どうしたら良かったのかな?」
と人に求めるばかりではなく、自分も出来る改善点を探そうとしますよね。
まあ、この「自分のよく知らないことや経験したことのないことについては、それをしている人の苦労や負担を軽く見る」というのは介助される立場の人に限った話ではないですものね。
さすがに看護については「看護は医療職で専門職」という意識があるのか、あまりそういう言葉は見かけないけれど、介護や保育については「数さえ増やせばいいだろう」系のプロの技術なめてんのか⁉という言葉は、ちょくちょく見かけますものね。
ああいう「数さえ確保すれば回るだろう」思考の人は介護も保育も技術職だという発想がないのでしょうね。
何の為に医者に研修医制度があると思っているのよ。人と関わる技術は人で磨かれるから育てるのに時間がかかるのに。
医療は、人によって技術の差があることは暗黙の了解として理解していても、介護と保育も同様だとは考えないのかしらね?
介護と保育も技術のある人とない人の差が明確に出やすい職種だと思うけど。
介護のプロは「介護される側が心地よい介護」だけでなく「自分の体を壊さない介護」も出来ますものね。
介護ってメンタルへの負担もあるけど、フィジカルへの負担も大きいですし。
「油断していると腰やられるから気をつけなさい」
が口癖になっている職種ですものね。そういう介護のプロでも
「疲れてくると体の中心線で人と向き合って介助するのが難しくなる」
と、言い出すのだから適切に休憩取れるような勤務体制が必要なのでしょうね。
どんな技術がある人でも疲れてくると判断が狂いますものね。