火曜日の思索メモ

思ったこと、考えたことの記録です。

大晦日、あれこれ

医療従事者にとっては大変な一年でしたが、それでもこれを見て笑ってしまった。どういう時でもユーモアは必要ですよね。(^O^)

 

togetter.com

病院自体は仕事納めですが、感染対策上、納会で会食するわけにもいかないので、カップ麺として「赤いき◯ね」「緑のた◯き」が職員に配られましたが、「なぜどん兵衛ではないのか」とナースステーションで暴動が起きています

ちなみに私は西からどん兵衛を密輸してます

 

“どんぎつね”さん派と “タヌキとキツネ”派の熾烈な戦いが予想される…

 

 これは深刻な院内対立。

 

 

どん兵衛(E)派vsどん兵衛(w)派で、また暴動が起きるかもですw

 

赤いきつねは東日本・西日本・北海道・関西と4バージョンあるので争いも激化しそう

 

 

では、おやつにキノコとタケノコを配りましょう

 

本質から考える

年の終わりに中村先生の映像やご本人をよく知る人達から逸話を聞く機会があったせいもあるけれど、今年は本質というものとよく向き合わざるをえない年だったなあ、という気がしますね。

あらわれている事象に目を奪われているのではなく、本質を見ているとあまり揺らがないのだなと思ったり。その逆も思ったり。

中村先生の思い出を語るワーカーさんの

「本質を見るのではなくて、現象を見るとぶれているように見えるが本質を見ると納得できる」

という言葉に、これは中村先生が「命を救う」という本質の面ではブレがないけれど、その為の手法については色々と試行錯誤したり、迷ったりもするから矛盾した行動を取っているように見える時もある。

でも本質に照らし合わせて見ると、その点は揺らがないから納得できるということなのだろうけれど、これ見ていた人もそういう本質が見える人だからだよなあ、と思ったり。(中村先生ぐらい行動を動かしている本質が見え易い人でも、現れている事象だけを見て攻撃する人はいるなあと思ったり)

中村先生を語るワーカーさんの言葉からもう既に亡くなった知人から口癖のように聞かされた言葉を思い出したりもします。 

「ものごとは本質を見なさい。本質を見て考えると間違いが少ない」

「世の中の人は結果から見て考える人が多い。結果ではなくまず原因を見なさい。原因を見て考えると結果という答えが出ている。それからまた考えなさい」

「世の中の人が分からない、分からないというのは中途半端なところで考えるのを止めるからです。中途半端なところで止めるのではなくとことん考えなさい」

「とことん考えて、一生懸命向き合ったことで失敗するのであれば失敗したことで得るものがあります」

 こういう実体験で得てきたものから語る言葉を持つ人は言葉に力があるんですよね。話の上手い下手以前に言葉に力がある。

本質とは何か?を見つめることは、自分の本質とは何か?を見つめることに通じることでもありまして。自分の本質と向き合うことはこれでなかなか厄介ですね。

自分の中の矛盾や対立する思いと向き合って、それでもまだ残ったものに他者との摩擦を恐れず誠実でいなければならないのですから。

「思いと言葉と行動。これがずれていることは仏教的に言えば、これは論理的ではありません」

 これは以前お坊さんに聞いた言葉なのですが、本質と向きあうことで人は論理的になれるのでしょうか?新たな年に私はどこまで論理的になれるのでしょうか?

 本質に向きあわざるをえなかった年の終わりにそんなことを思ったりしています。

 

 

家庭の夫に英雄はいない そういう家庭が幸せである。

それにしてもワーカーさん達から見た中村先生を観た後だと、中村先生が亡くなってからペシャワール会の活動を手伝うようになったお嬢さんが、インタビューで

「私、父が生きていた間は父のしていたことをあまりよく知らなくて。父が亡くなってから、父がしていたことを知って。ど、どうしよう!こんな凄いことをしていたの、お父さん!私の知っているお父さんじゃない!」

「父とは別の中村哲という人がしたことという気がする」

 と語っていたのがよく分かりますね。中村先生、アフガニスタンを放っておけなくて一年の三分の一くらいしか家族と過ごせなかったそうだけど、家庭人として幸せだったのね。

 田辺聖子さんの名言で

「家庭の夫に英雄はいない。そういう家庭が幸福である」

 というのがあるけれど、お嬢さんの言葉を聞く限り中村先生の家庭もそういう感じだったのでしょうね。

男の人は家庭内でも英雄でいたいかもしれないけれど、そういう家庭が幸せであるとは言えませんしね。「海賊と呼ばれた男」のモデルとなった男性の娘さんが書いた本があったけれど、家庭でも父や夫でなく英雄のままの人がいる家庭は子供にとってはきついねえ、という感想しかなかったですね。

スーパーのライフキャリア・レインボーでがないけれど、それぞれの場には、それぞれの場にあった役割があって、どこでも同じ役割を崩さない人というのは、やっぱりどこかで歪みを生み出すのでしょうね。

中村哲の声が聞こえる

中村哲の声が聞こえる」というアフガニスタンで中村先生と一緒に働いたワーカー(日本人ボランティア)のその後を描いたドキュメンタリーを見まして。

冒頭はU2の日本公演でボノが「Bad」を演奏前に

「一瞬でいい、皆の思いを寄せよう。僕らはこうしてここにいる、生きている、集まっている…屋内に輝くこの星空、このスポーツスタジアムを大聖堂に変えよう。それぞれのスマートフォンをキャンドルがわりに。

偉大な寛大なる国が生んだ、偉大なる1人の人間、偉大なる中村哲医師を偲んで…」

と、追悼を呼びかけるところから始まりまして。あの報道を聞いた時にU2だったら、そういうことをしても不思議はないけど中村先生日本よりも海外で有名だったのかな?と思いました。

ボノだったら緑化成功で話題になる前から中村先生のことを知っていてもおかしくはないですしね。

このドキュメンタリーそういう緑化成功以前から中村先生と一緒に働いていたワーカーさん達の現在と彼らが中村先生から得たものを描いていまして。

これ、アフガニスタンにもボランティアにも国際支援にも興味がない人でも、人材育成に関わる人は見た方がいいと思いました。人が人を育てる。人が成長するというのは、どういうことかを見事に描かれていました。

 

中村先生の棺を担いだ元ワーカーさんが

「悲しんでも先生は喜ばない」

 と語っているところがなにかよくて。先生だったらどう考えるだろう?先生だったらどう行動するだろう?というのが判断基準のどこかに入っている感じが凄くよくて。

 アフガニスタンでの日々、中村先生とワーカーさん達はそんな風に思えるだけの濃い時間を共有してきたんだなという感じがしました。

ワーカーさん達が志を持ってアフガニスタンに渡った人ばかりではない、というところもなんとなくよくて。

仏教の勉強をしたくて渡った人、ブラック企業で営業をやっていることに疲れて気分転換で1ヶ月ぐらい滞在するつもりで渡った人。いつかは国際機関で働いてみたくて、ここでボランティアをすれば就職の時に売りになる程度の気持ちで渡った人。

 中村先生は、志望動機よりも今いかに誠実に働いているかで人を見る人だったので、様々な理由でアフガニスタンに渡ったワーカーさん達が現地の現実に触れて変わっていく様を見るのは楽しかったでしょうね。(「丸腰のボランティア」という日本人ワーカーに多く筆をさいた本もあることですし)

 

 頭で描いていたアフガニスタンと現地の現実との差に打ちのめされてワーカーさんが中村先生に向かって

「こんな小さな診療所で何ができるんですか?」

 と怒りをぶつけるのがいいし、その問いに対して中村先生が

「わしゃバカじゃけんね」

 と応えるのもいい。その問いでワーカーさんが、ああ、それでいいんだ、と納得するところもいい。

「人は好きなようにやっていいんだよ。完璧じゃないんだけどやっていいんだよ。」

 そう言われたような気がして救われたとワーカーさんが語っていましたが、逆に言うと日本では誰もこの方に「人は好きなようにやっていいんだよ。完璧じゃないんだけどやっていいんだよ。」ということを示させなかったということになりますね。

 

そして中村先生とワーカーさん達の関わり方を見ていると、これ人が育つわ。一番大切で大変な「金を集める」を中村先生がやって「問題を解決する」経験を若いワーカーさん達に積ませている。

 

アフガニスタン旱魃が起こり、清潔な水が手に入らないことで感染症でどんどん人が亡くなる状態が続いて、人を生かす為には治療するより先に清潔な水を手に入れることが必要だち井戸を掘ることを決断した時、中村先生がワーカーさん達に言ったことがこれです。

「とにかく水を出せ。綺麗な水を出せ 手段を選ぶな」

「銀行強盗以外はなんでもやって金を集めてくる。なんでもいいから始めさせろ」

 これ言われた方は必死になって方法を考えるわ。しかも一年で600本の井戸を掘るというワーカーさん達からすれば無茶苦茶な(感染症患者の増加を防ぎたい中村先生にとっては当然な)達成目標が掲げられたわけだし。

 

 井戸を掘ると言うのは単に技術的な問題ばかりではなく、色々と面倒なことが絡んでくるわけですよ。日本でも水利権問題は下手を打ったら血を見ると言われるくらい難しい問題であって。しかも場所は旱魃期のアフガニスタン

みんな自分のところに水が欲しいわけです。全部の要望を聞いていたら、とてもじゃないけど対処しきれないから心を鬼にして選択をしないといけない。

そういう状況の中で、二十代の若者が現地の長老会を相手に交渉をして井戸を掘っていいと承諾をもらうわけですよ。中村先生のことを「鬼教官、鬼将軍」と評したワーカーさんがいたけれど

「長老を説得し、井戸を掘っていいと許可を得るまで帰ってくるな。笑顔で帰ってこい。ただヘラヘラするな。長老と笑顔で話しあえるようになってこい」

 こういう指令を受けたワーカーさんからすれば鬼以外の何者でもないでしょうねえ。中村先生と初めて会った時の印象を

「怖かった。先生は小柄なのだけど目が凄い。先生を見て話すのは気力がいる。嘘が通じる人ではない。」

 と語ったワーカーさんもいましたが、嘘が通じる人ではないけれどその言葉は嘘だと言ってくれと思ったとしても無理はないでしょうね。それでも鬼教官の達成目標をクリアし、ようやく清潔な水が手に入るようになった頃、9.11が起こりました。

 外務省の指示でアフガニスタン人スタッフを残しパキスタンに撤退した日本人スタッフが見たものは、アフガニスタン空爆を映すTV画面でした。

 阪神淡路震災や東日本震災で故郷が災や波で呑まれていく様をを映すTV画面を見ていた人は、この時の日本人ワーカー達の気持ちがとてもよく理解できると思うのですよね。

 画面の向こうで今、自分達がよく知っている街が破壊されていく。今、破壊されてゆく街のどこかに自分達のよく知っている人達がいる。なのに自分達は安全なところで何もできない。

 そういうところに中村先生が日本から帰ってくるわけです。ワーカーさん達の話を聞くまで知らなかったけれど、アフガニスタン空爆時に中村先生は日本にいたんですね。

 ひょっとして参考人として国会に呼ばれた時だったのかな?アメリカがアフガニスタン空爆を決めた時、現地の事情をよく知る人間として、中村先生は国会に召集されたのですね。

 そこで政府が求める言葉ではなく、現地の事情を知る人間としての正直な言葉を告げたことで中村先生は国会でかなり叩かれまして。(今年の国会で尾身先生がヤジられた時、医療関係者がキレまくっていたけどあれを想像するとわかり易い)緑化が成功してからの中村先生の持ち上げられ方をどこか冷ややかに見てしまうのは、このせいで、いやあの時相当ひどいパッシングあったよな、と。

皇室は現地の正確な情報と正確な知識を求めるけど、政治家は自分達にとって都合の良い情報と都合のいい知識を求めるのだな、とつい思ってしまうのです。(皇室が、その人の思想に関係なく専門知識のある人を皇居に招いてレクチャーを受けるのは有名な話で中村先生も何度か招かれたそうで、ご葬儀の時は皇室からも弔辞が出ていましたね)

 で、日本から戻ってきた中村先生が言ったことは

「食糧ば配ろう」

 これでパキスタンで何もできないままイライラしていたワーカーさん達の方針が決まったわけです。

アメリカが爆弾を降らせるなら俺らが食糧ば降らせる。なによりもこれをやるから全力で走りなさい。」

 なにかこの言葉イザナギイザナミの黄泉別れを連想されるのですね。

「我が愛しい夫よ。貴方がこのようなことをするのなら貴方の国の人を1日1000人殺しましょう」

「我が愛しい妻よ。貴方がそうするのなら私は1日に1500人産ませてみせよう」

 アメリカが何もしなくても旱魃で死にかかっているアフガニスタン人を殺すなら、自分達が食糧を配ることで生かしてみせよう。

 

それからワーカーさん達は必死でした。無我夢中で走り回って寝る間も惜しんで走り回って。製粉業者と油業者と運送業者に探して、価格交渉をして配送手配をして。

「やりたい、何もできないという苦しさの中で全力でこれに取り組んでいいよと与えられた時、寝食を忘れて働けてしまう」

 そう語ったワーカーさんもおりました。ワーカー時代の思い出を聞かれて思い出を噛み締めるかのように言葉を探しながら答えたワーカーさんもおりました。

「仕事でした。成長させていただいた。色んなものを与えていただいた。人生を根底で支えるような、そういうものを与えていただいた。」

 これはもう目に見えない財産でしょうね。

失敗を繰り返しながら、諦めずに挑戦をし続けた。挑戦する機会を与えられ続けた。中村先生は失敗しても怒らなかった。

「君達は悪いことになら何でもしてもいい」

「失敗を恐れるな。とにかく思うままやってみろ」

これを言ってもらえた人が今の日本にどれだけいるかということを考えるとワーカーさん達があの日々のことを「色んなものを与えていただいた」そう振り返るのは無理がないと思うのです。

ワーカーさん達に「まずやってみろ。習うより慣れろ」という方針で接し、失敗しても咎めなかったことを中村先生はこう記してます。

「最近の日本は若気の至りを許さない気風で若者が萎縮しているように見えるからです。」

 

日本に帰国する時に中村先生が書いた別れの言葉を見せてくれたワーカーさんもおりました。

「柳緑花紅」

「柳緑花紅。書いてもらった時は何のことか分からなかったけど、柳は緑、花は紅。そういうことだと知って、あるがままに、自然体のままに、あるがままにそういうことでいいんだな」

 

一隅を照らす。自分ができること、自分がやりたいことに集中しなさい。それぞれが自分の置かれた場所でできることをする。

自分の身の回りのこと、出会った人の中でできることをする。

 

それぞれのワーカーさんがそれぞれの場所で中村先生に教えられたことを抱えて生きている。

帰国してから東日本震災に会い、今農業雑誌で農家を助ける仕事をしているワーカーさんはこう語っておりました。

「震災で苦しんだ人と水不足のアフガニスタンで苦しんだ人が重なった。逆境になればなるほど、農家はアイデアを出して立ち向かう。

小さいものや弱いものに対して冷たい社会に抗っていきたい。

人がいないからいいだろうと切り捨てていくのはおかしな話だと思います。」

 

 

クリスマスケーキとクレーマー

郵便局が届けたクリスマスケーキがぐちゃぐちゃになっていたので郵便局員

「裸で謝りにこい」

と怒鳴りつけたTwitterが話題になっているけれど、生ケーキの発送なんて製菓店が

受ける筈はないから、これ個人から個人へと送ったやつなのかな?

 この写真だと保冷剤もないから冷凍ケーキではないようだしなあ。

クリスマスケーキを郵送で送る場合もあるけど、そういうのってシュトーレンとか

クリスマスプティングとかのどっしりとした焼き菓子系だし、生クリームスポンジ系は

崩れやすいから予約したお店から引き取りに行く時も崩れないように大事に気をつけて

運ぶのが常識だから、炎上商法狙いを疑われているけれど、これ炎上商法であって欲しいなあ。

本当に生ケーキを郵便で送った人がいて、崩れても当然のものを崩れたから謝りに来いと騒ぎ立てるので、ただでさえ忙しい年末にケーキ持参で謝りに行かなければならないなんて郵便局員が気の毒過ぎる。

こういうクレーマーが実在するのなら郵便局員も消耗するよね。

誰を最初の師とするのか。

こういう時ですが今年はなかなか機会がなかったし、やっぱりお話お聞きしたいし、と馬淵さんのセミナーに行ってきまして(薫さん、こういう時の主催ありがとうございます!)

年の最後に本物のプロのお話を聞けるっていいなあ。さすが専門家!一流のプロフェッショナルの言葉って納得力があって面白い!と思いながらお話を聞いていたのですが、先日聞いた藤田看護師の話とあわせて、お師匠さんがお坊さんとコラボした時の講座を思い出したりして。

講座が終わって、みんなでご飯を食べている時にお師匠さんが

「誰を最初に師として持つか、ということはとても大事ですよね」

 と話して。お坊さんが頷きながら

「そうです。誰に最初に出会うのかというのはとても大事です。そこが狂ってしまうと、後からとても苦労する。だから虐待を受けて育った人などはリカバリが本当に大変だと思います。自分が得てきた間違った情報を一旦ゼロにして、さらにそこから始めないといけないのですから」

 と応えた時がありまして。まあ、確かに虐待体験者の記したものを読むとその大変さは分かるのですが(大変さを語りながらも「諦めるな!信じられる人はいる。虐待を受けた人間でも幸せになれる。自分が証明する」と今、同じ経験をしている人に語っている人も多いですね)最初に誰と出会うかって、かなり運と縁に左右されるよね、と思ったりもして。うちの師匠が

「こういうことの怖いところは、最初に本物に出会った人は偽物が分かる。『なにか分からないけど、違う』という違和感で分かる。でも最初に偽物に出会った人は、次に本物に会っても分からないのよ」

 と語ったことがありまして。これ確か講座中の言葉だったから身体技法についての言葉だったと思うけれど、こういうことは身体技法に限らずあるのでしょうね。

 私教えがいのない教え子ですが、先生運だけはあるんですよね。経済でも身体技法でも文化でも「ああ、凄い。そういうことなのか。難しいけど本物の専門家が話すことって深くて面白いなあ」と思うことが多々ありまして。お坊さんの

「わからないなら、わからないまま無理にわかろうとしなくていいんです。無理にわかろうとすると歪みが出る。『わからない』をずっと抱えていると、ある時ふっと『ああ、そういうことか』と分かる時があります」

 という言葉を頼りに精進を重ねるしかないのでしょうね。ただ、この『わからないをずっと抱える」ことが嫌な人や苦手な人が増えているような気がしますね。

 そりゃ、わからないよりわかる方がいいんですが、与えられたヒントを元に自分で答えを見つけるのではなくて最初から答えを求めるような。教えてくれる人に考え方を求めるのではなくて解答を求めるような人が目立つような気もしますね。

 まあ、これは多かれ少なかれ誰にでもある傾向かもしれませんし、私がそう思うだけかもしれませんが。ただ自分のこの傾向をヤバいなあ、じゃなく、どこが悪いの?になったら危うい気がするんですよね。容易く負のオオトノジの方に捕まってしまいそうな。

 そうならない為にはより多くの本物に出会うしかないのかしら?あれ、何か違うなあ?という違和感は大きいですよね。

 

ロジスティックスの大切さ

空爆下の食糧配布の話、これロジスティックの大切さを示す話でもありますね。

物があってて、それを求める人がいても、求める人のところに運ぶ手段がなければ役に立たない。

東日本震災の時もヤマトや佐川などの宅配便の人達やトラックの運転手、貨物列車に感謝する声が多かったものですね。

物流が社会の血脈と言われる所以だけれど、何もない時だとそのことに気づいていない人も多いのだろうなあ。

物流を担う人達が過重労働とそれに見合わない報酬待遇で人が不足しているという状況はどうなのでしょうね。

昔「金は貯まるが、体を壊す佐川急便(報酬はいいが、仕事がめちゃくちゃきつい)」という言葉を聞いたけれど、「金は貯まるが」の部分が消えたと言われて久しいですものね。

労働がきつくても対価が見合っていれば選ぶ人はいるでしょうけど、この労働にこの対価は見合わないと思ったら別の選択をする人が増えるのは当然でしょうね。

そうして社会に必要なところが少しずつ壊れていくのでしょうね。