火曜日の思索メモ

思ったこと、考えたことの記録です。

親ガチャはいつから格差を意味する言葉になったの?

「親ガチャ」論争というのがあるらしいのですが、言い換えることで、その言葉が意味するものを軽くするという意味では「親ガチャ」って「援助交際」や「パパ活」と同じカテゴリに分類されると思うけれど(あと、「いじめ」もそうか。「きちんと『脅迫』とか『暴行』とか、された側が受けた行為への正しい名称を使え」という言葉はよく見かけますものね)

援助交際」や「パパ活」という言葉が「親ガチャ」ほど使うこと自体を嫌がられた印象はないのだけれど、それは何故かしら?

援助交際」や「パパ活」が別の言葉を言い換えただけだと分かっているから「親ガチャ」という言葉に嫌悪感を感じる人がいるのかしら?

援助交際」や「パパ活」も複数の事象が想定できる言葉だけど、「親ガチャ」という言葉には更に多くの事象が込められていますよね。

 

メディアの中の人達は、その中の一つの事象だけを取り上げて、その事象だけが象徴する言葉かのように意味を単純化して論争にもっていきたがるのは何故かしら?

そういうことをしたがる人達は、そういう動きを冷ややかに眺めている人達の視線に気づくことはないのでしょうね。