火曜日の思索メモ

思ったこと、考えたことの記録です。

こどもの幸せよりも票田の方が大事な人達

そういえば、「こどもの虐待防止対策イベント」で身体虐待以外の虐待についても触れられておりまして。

虐待というと身体虐待を思い浮かべる人が多いでしょうけど、(同じく身体繋がりで性虐待も連想する人は多いかな?)、虐待は色々種類があって、その中にはあることを見過ごされやすい虐待もあるんですよね。

ヤングケアラーなんかは「これも虐待の一種」という認識が世の中に広がってきたので、遅々としながらも対策が取られ始めているけれど、経済虐待なんてわりと見過ごされやすいですよね。

「親にアルバイト代を取り上げられた恨みを語る人は多いですね」

「高齢者には経済虐待があることを認めているのに、子供には認めていない。こういう虐待があることを、もっと世の中の人が理解すれば『親に奨学金を取り上げられて使い込みされた』というよく聞く話も、そういうことが起こらないように手を打つことが出来る」

 という話を虐待対策イベントで聞きましたね。虐待対策に真摯に取り組んでいる人達は

「虐待されている子供が親から逃れる為には、その為の逃走資金と逃げた後きちんと暮らしていける生活資金が必要」

というごく当たり前の事実を理解しているので、「どうやったら、経済的に自立していけるか?」ということを考えられる能力を子供に与えることにもの凄く熱心ですね。

 また同じく見過ごされやすい虐待の一つに文化的虐待があげられていまして。それぞれの家庭には、それぞれの家庭内文化があるじゃないですか。

 この家庭内文化が、子供が社会の中で生きていくうえでの困難さを生み出している状態が文化的虐待で。

 分かりやすい例でいえば、「親がやくざ」「宗教二世」なんかがこれに当たりますね。

 今、こういう立場の人達のコミックエッセイは結構でてますね。「親がやくざ」の方はすぐには思い浮かばないど、宗教二世の方だと「カルト村で生まれました」「カルト宗教信じてました」「よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話」とちょっと思い浮かべただけでこれだけありますね。

 マンガは言語化しにくいものを絵で表現できるので、言葉にしにくいものを当事者が語るには適しているのかな。

 

 

 人は生まれを選べないし、何を信じるかはその人の自由だし、親が選択したものが家庭内文化として子供に伝わることは自然なことだけど、その文化が世の中から見て望ましくないものであると、自分が選択したことではないのに子供は世の中と衝突させられるのですよね。

「こういう文化的虐待について、政治家は介入を避けたがります。何故なら票田を失うからです」 

 という言葉を虐待防止イベントでお聞きしました。

「宗教は、常に子供を必要とするんです。何故なら彼らは信徒を増やして自分達の教えを維持発展させたいという欲求がある」

「政治家にとっては、宗教組織からの支持を得られれば、まとまった票が得られるという思惑がある。だから、こういう文化的虐待に苦しむ子供達の存在は無視します」

 と、こういう虐待が放置されてきた理由を語られたのですが、名称を「こども家庭庁」に変えることを主張していた政党の名前を見たら、とても納得してしましました。