火曜日の思索メモ

思ったこと、考えたことの記録です。

宗教2世の問題を長年政治家がなかったことにし続けてきたツケ

元首相を撃った犯人の動機に納得できない、とか。犯人は謀略に利用されているのでは?とか言う人がいるけれど、もし本当に何かの謀略があって実行犯として利用されたのなら、今後も簡単に第二、第三の実行犯は見つけられるでしょうね。

それぐらい親の新興宗教に苦しめられた子供の恨みは深い。

安部さんを殺した犯人は親から信仰を強要されたわけではないから厳密に言えば宗教2世ではないのだろうけど、親の宗教が原因で子供が苦しめられた、という点では宗教が原因の虐待に分類できるでしょうね。

そして親の宗教が原因の子供への虐待は、虐待の中でも救いの手が差し伸べられにくい方に分類されるのですよね。 

 

虐待防止イベントで聞いた虐待の4分類。

① 肉体への虐待

②精神への虐待

③経済的虐待

④文化的虐待

 

この4つの中で一番子供が虐待から救われやすいのは①。肉体への虐待は、「子供が危険だ、放置できない」ということを誰が見ても分かりやすいから、救いの手が差し伸べられやすい。

②の精神への虐待は、理解されにくかったけれど、教育虐待がクローズアップされたことでも分かるように近年は理解が進んできた。

 

③の経済的虐待は、親が経済的に困窮しているから、という意味ではなく、親が経済を道具に使って子供を苦しめている、という意味なのだけど、経済DVが長年理解されなかったように理解されにくいし、「親が子供のお金を使って何が悪いの?」と親孝行という言葉に都合よく変換してしまう人もいる。(アルバイトして貯めたお金を親に使い込まれた恨みを語る人は本当に多いと虐待防止イベントで聞いたなあ)

 

「親がヤクザ」「宗教2世」などの文化的虐待は、厄介な親と関わりあうことを恐れて他人は付き合いを避けたがるから、子供はさらに救いの手を得にくい。

特に宗教2世の問題は、政治家は票田である宗教団体とことを構えることを嫌がるから無視される傾向にある。

 

政治家にとって、「虐待される子供」よりも「自分達にメリットを与えてくれる宗教団体」の方が大事だということは、虐待される子供が「縦割り行政の弊害で、支援の隙間からこぼれ落ちてきた」現状を変える為に、虐待される子供を含めた全ての子供が救われる社会を作る為「子供を真ん中に置いた社会づくりを目指す」ことを目的に創立を目指してきた「こども庁」が、宗教団体をバックボーンに持つ政治家達の力で「こども家庭庁」名称変更されてしまったことで証明されてしまいましたしね。

 

元々は「こども家庭庁」という名称で創設を目指してきたものを、勉強会に招いた虐待サバイバーの方の

「虐待されて育った僕には『家庭』という言葉は地獄です。こども家庭庁という名前だけで、これは僕達のような子供は助けてくれないところなんだ、と思ってしまう。こども『家庭』庁という言葉は、僕達のような子供を排除している」

 という言葉を受けて、名称変更して「こども庁」に変えたのですよね。それを「こども家庭庁」に戻すほど、宗教団体にとっては「家庭」という枠は大事らしいですね。その枠の中でどんな地獄が繰り広げられていようとも。

 

「生きていることは地獄。誰も自分を救ってはくれない」という絶望を抱えた人間は、ほんの少し方向性を与えてあげれば簡単に暴発するでしょう。「生きていることが地獄」の人間には死刑は抑止力にならない。

 だから社会福祉が必要で、「もしかしたら自分は救われるかも。これがあればなんとかやっていけるかも」と思わせるシステムが

必要で。日本が他国に比べて犯罪率が低いのは、この社会システムが十分ではないにせよ比較的上手く働いているので犯罪に走る人を未然に防いでいるからだ、とも言われているのですよね。

 

そして安部さんは、そのシステムを作ろうとした側の人間なのですよね。提案者が、こども庁創設を目指して、その有効性を理解してもらう為に勉強会を開いていた頃、閉会後呼び止めて

「あれだけは、僕実現させるからね」

 と提案者に明言したのは官房長官時代の菅さんで、菅さんは安倍内閣にの官房長官だったのだから、安部さんに話がいっていない筈はないのですね。

 歴史は、こういう皮肉が多々として起こる。人は、どうしようもなくなって絶望すると視野が狭くなるから、そうなる前にどこかで救いの手が入れば良かったのに。

 これを機に宗教二世の問題や親の宗教に苦しめられる子供の問題が、もう少しクローズアップされるかな?

 

宗教2世の問題を取り扱った漫画が宗教団体からの圧力で連載中止に追い込まれる現状では、あまり希望は持てないかもしれないけれど、変化はあると思いたいですね。

togetter.com