火曜日の思索メモ

思ったこと、考えたことの記録です。

関係性の再現

成田氏の発言が海外でも報道されたと話題になった後、FBで「ギャンブル狂で酒好きの父と、借金返済に翻弄する母の姿 」という成田悠輔氏の語る生い立ちの記事がシェアされてきました。

logmi.jp

それを目にしたら成田氏の「高齢者は老害化する前に集団自決」「解決策は安楽死発言」について

「成田はひろゆきか誰かとの配信で、自分が死ぬことに頓着がないような発言してたよ。 実際にそうなったらどうなるかはともかく、根底には自分も含めて『人間の命は軽い』ってのがありそう」

 とコメントをされていたのを思い出しました。あれを読んだ時、石井光太さんの「虐待された少年はなぜ、事件を起こしたのか」を連想したのですよね。

 石井さん以外にも複数の人が同じことを書いているけれど、少年犯罪とか凶悪犯罪を犯した人は機能不全家庭で育っている確立が高くて、彼らが犯した犯罪は彼らがされたことの再現だ、という指摘があるのですよね。

(分かりやすい例で言うと、ちょうど今映画になっている「鬼滅の刃 遊郭編」の敵役である上弦のろくの兄妹ね。あの兄妹が口にする「強いものは弱いものに何をしてもいい。弱いものは強いものに逆らえない」は、あの兄妹がされてきたことで、あの兄妹は、その接し方しか知らないから同じことを他人に繰り返しいる)

「命を大切にしろ。被害者のことを考えろ、という言葉は彼らには響かない。何故なら被害者がされたことは、加害者がされてきたことで、加害者にとっては命は大切ではないからだ。自分の命が軽い人は、人の命を大切にできない」

 と、いうようなことが書かれていましたね。

 

 もっとも当然のことながら、虐待されたり機能不全家庭に育った人が全部が全部そうなるわけではなくて。友達の親だとか、親戚だとか、まったくの他人だとか、そういう関係以外があることを教えてくれた人が周囲にいた人は

「安心して信頼できる関係って本当にあるんだ。暖かい家庭って、映画やドラマの中の作りごとではなく現実に存在するものなんだ。『普通の家庭』て、うちの家みたいなところばかりじゃないんだ」

「どうせ『普通』になるなら、うちの親みたいな『普通』でなく、こういう『普通』になりたい」

 と親との関係を反面教師にしている例も多いですけどね。人間は学習する生き物だから、周囲から負の関係性を学ぶことも正の関係性を学ぶことも出来ますね。

 とはいえ子供が最初に人との関係性を学ぶのは自分の親からだから、最初の関係性が負で始まると、正の関係性はかなり自覚的に学ぼうとしないと身につきにくそうですね。

 

 どうも成田氏の場合、発言を聞いていると正の関係性を学ぶことをそんなに重視してなかった感じ。この方のインタビューとはは裏腹のご自分の過去から逃れられているという印象が薄いような。

 自分が意識していないところに、自分の過去からの影響が出るというのは、なかなか怖いものですね。